【大阪】PL9人最後の夏は初戦で散る 0勝ナイン意地見せたが…

[ 2016年7月16日 05:30 ]

<東大阪大柏原・PL学園>最後の夏を終え、号泣するPL学園ナイン

第98回全国高校野球選手権大阪大会2回戦 PL学園6―7東大阪大柏原

(7月15日 花園)
 今夏限りでの休部が決まっているPL学園が15日、第98回全国高校野球選手権大阪大会の初戦の2回戦で敗れた。試合の主導権を奪われる苦しい展開の中、7回に藤村哲平投手(3年)の2ランで一時は逆転。11年夏の代表の東大阪大柏原と大接戦を演じたが、8回に勝ち越しを許して力尽きた。夏の府大会の初戦敗退は1957年以来、59年ぶり。春夏計7度の甲子園優勝を誇る名門が、戦いの舞台から降りることになった。

 12人の3年生全部員が涙を流す中、球場にPL学園の校歌が響き渡った。三塁側スタンドに陣取った軟式野球部や剣道部の部員らの大合唱だった。高校野球ファンなら誰もが知っているあの歌詞、メロディー…。PL学園の短い夏が終わった。

 「応援していただいたファンの方々や支えてくれる方がいて僕らがいる。勝てなかった責任というか後悔は残ります。どこの学校よりつらいと思った時もありましたが12人という少ない人数でもまとまりはありました。大阪府でどこよりも伝統のあるPLなので」

 梅田主将は声を絞り出した。前日の14日。二塁手の河野、控えの正垣が練習中に衝突。河野は左大腿骨を骨折し正垣は左肩を脱臼した。1年時に急性リンパ性白血病を患い長期入院したため留年し出場資格のない記録員の土井を除けば試合で出場できる部員はぎりぎりの9人だった。「神様から与えられた環境で最善を尽くそうと声を掛け合いました」と梅田主将。傷だらけの中、11年夏の代表校の東大阪大柏原を相手に大接戦を演じた。

 初回に3本の単打を絡め2点を先制。だが、先発の藤村が1回1/3を5失点と打ち込まれ、逆転を許した。球場には栄光の歴史を刻んできたOBたちも駆けつけ、2800人の観衆が詰めかけた内野席は立ち見客であふれかえった。「このユニホームを着て簡単には終われない」。梅田主将の言葉にナインはうなずいた。6回1死一、二塁から水上の中越え2点打で1点差に迫ると、7回1死二塁から藤村が逆転2ランを左翼へ運んだ。聖地で数々の逆転劇を演じてきた底力は、確かに受け継がれていた。

 8回に再逆転を許したが、梅田主将は「逆転のPLを体現できた」と胸を張った。左翼で先発した藤原海は、今春に負った右肩関節唇損傷の影響で打球をつかんでも遊撃手や中堅手に下手からトスするしかなかった。それでも勝利を諦めず、最後まで戦い抜く伝統は守り抜いた。

 夏の府大会での初戦敗退は59年ぶり2度目。秋の新チーム結成から公式戦で1度も勝てなかったのは初めてだった。ナインはベンチ前で崩れ落ちた。だが、川上祐一監督は「胸を張れ。泣く試合じゃない」と健闘を称えた。史上3位の甲子園96勝、春夏計7度の全国制覇を飾った名門が一つの区切りを迎えた。(吉仲 博幸)

 ◆PL学園 1955年(昭30)4月にパーフェクトリバティー教団を母体に創立。野球部は翌56年4月に創部した。62年春に甲子園初出場し、78年夏に初の全国制覇。春夏計7度優勝し、歴代3位の96勝(30敗)を挙げている。

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