ヤク松岡、故郷のために…東海大生犠牲の倒壊アパート前に合宿所

[ 2016年4月18日 08:40 ]

<ヤ・D>1失点ながら味方打線が逆転し勝利投手となった松岡

セ・リーグ ヤクルト5―4DeNA

(4月17日 松山)
 試合後、バスに引き揚げるヤクルト・松岡の表情は複雑だった。2―3の9回に4番手で登板するも、2死一、二塁から乙坂に適時打を浴びて1失点。苦しい展開にしてしまったが、野球は分からない。

 その裏に打線が2点差をひっくり返しての逆転サヨナラ勝ち。今季初白星が転がり込んできた。それでも、素直には喜べなかった。「打たれた方が悔しい。頑張りたかったけど力の無さを感じた。自分の役割は抑えること。0点に抑えなきゃいけなかった」と反省の弁を並べた。

 熊本地震で大きな被害を受けた阿蘇郡南阿蘇村の東海大九州キャンパス(当時は九州東海大)出身。倒壊して学生3人が亡くなったアパートは、松岡が学生時代の4年間を過ごした野球部の合宿所の向かいだった。松岡の同級生は野球部のコーチを務め、学生とともに避難所生活を続けている。遠く離れた松山でお世話になった人たちの安否を確認する日々。眠れなかった。ニュース映像で地震の被害状況を見て、「阿蘇大橋は簡単に壊れる橋ではない。自分が見ていた光景とまったく違ってどこなのかと思った。言葉にできないぐらい苦しい気持ち」とショックを受けた。

 この日の試合前には川端、秋吉らとともに、試合前に熊本地震の被災者支援の募金活動に参加。「熊本が大変ですけど頑張ってください」とファンに声を掛けられ、「これだけ多くの方が募金をしてくれて感動しました。自分たちのできることをやりたい」と感謝を口にした。

 10年に救援で当時球団最多記録だった73試合登板。昨季も38試合に登板し、リーグ優勝に貢献した。今は新たな思いを背負っている。「被災地の方のためになりたいと自分に重圧をかけながら成績を残したい」。チームは今季2度目の3連勝。松岡も強い思いを胸に秘め、マウンドで腕を振り続ける。 (平尾 類)

 ◆松岡 健一(まつおか・けんいち)1982年(昭57)6月7日、熊本県生まれの33歳。東海大二3年夏は県大会ベスト16で甲子園出場はなし。九州東海大では1年秋にMVP。4年春にはリーグ優勝し、大学選手権で8強に進出した。04年自由獲得枠でヤクルト入団。05年10月6日の中日戦でプロ初勝利。1メートル81、85キロ。右投げ右打ち。今季年俸3600万円。

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