大谷「投げてみたい」 道開けた20年東京五輪エースに名乗り

[ 2014年12月9日 05:30 ]

20年東京五輪での野球競技復活へ道は開けた!エースへ名乗りとばかりに日の丸が入ったグラブでキャッチボールする大谷

 日本ハムの162キロ右腕・大谷翔平(20)が東京五輪のエースに名乗りを上げた。8日、モナコで開催された国際オリンピック委員会(IOC)の臨時総会で五輪中長期改革案「アジェンダ2020」40項目の審議を開始。開催都市が実施種目を複数提案できる権利が承認されたことで、20年東京五輪での野球・ソフトボール実施の道が正式に開けた。26歳と脂が乗った時期で20年を迎える大谷は、野球の実施決定を熱望するとともに、メダル獲得へ意欲を示した。

 夢へと一歩、大きく近づいた。東京五輪が行われる20年には、大谷は26歳になっている。「オリンピックで投げると想像したことはないけれど、投げてみたい」。野球界に光が差し込んだこの日、日本が誇る二刀流は素直な思いを口にした。

 思い出深い五輪は「宮本さん(元ヤクルト)がキャプテンだった時が印象に残っている」という。日本代表が銅メダルを獲得した04年アテネ五輪。背番号18を背負った松坂(現ソフトバンク)の姿も印象深い。大谷は当時、10歳だった。翌05年7月、08年北京五輪を最後に野球が実施競技から外れることが決まった。大谷を含めた多くの野球少年は、「オリンピック出場」という夢を見ることさえ、できなくなってしまった。

 日本野球機構(NPB)は野球が20年東京五輪で復活した場合は、侍ジャパンのトップチームで臨む方針を固めている。大谷は花巻東(岩手)時代から日本代表として世界大会を経験。11月に開催された日米野球では、侍ジャパンの一員として大リーグ選抜を相手に好投した。そんな大谷にとっても、五輪は特別な舞台だと認識している。「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)もあるが、世界的に見ればオリンピックの方が見てもらえるのかなと思います。世界中に広く知ってもらう利点がある」と話した。

 昨年4月に行われたIBAF(国際野球連盟)総会では、ビデオレターで野球の競技復活を訴えたこともある。そして、この日のIOC臨時総会で五輪開催都市が実施種目を提案できる権利が承認された。復活への扉は開かれた。大谷の夢は早くも6年後を見据えている。「メダルを獲れたらなと思いますし、(日本代表に)選んでもらえたら」と力を込めた。

 26歳と、野球選手として脂の乗り切った時期に迎えるであろう東京五輪。3大会ぶりの、それも自国での開催となれば、求められるメダルの色は一つだけだ。世界の視線が侍ジャパンのエースとなった大谷に注がれる日が待ち遠しくなった。

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