阪神・久保田 今季限り現役引退へ 「JFK」で05年V貢献

[ 2014年10月2日 05:32 ]

(左から)藤川、ジェフ・ウィリアムス、久保田の「JFK」

 阪神の久保田智之投手(33)が今季限りで現役を引退することが1日、わかった。今年2月の右肘手術から復帰できなかった。近日中に引退会見が開かれる。05年のリーグ優勝を支えたJFKの最後の一人も、ついに阪神のユニホームを脱ぐ。

 鉄腕と言われた久保田もケガには勝てなかった。「(肘が)本来の状態ではない…」。親しい関係者に漏らした本音。プロ12年間の現役生活にピリオドを打つ決意をこの日までに固め、球団も了承した。近々、引退会見の場が用意されている。

 今年1月下旬に右肘痛を発症した。春季キャンプは主力組ではない安芸でスタートしたが、2月5日にすぐに離脱。翌6日には大阪市内の病院で、「右肘関節形成術」を受けていた。

 「一日でも早く1軍のマウンドに戻って貢献できるよう、リハビリに取り組みたい」

 復帰への意気込みをそう語り、実戦復帰した5月22日の2軍の紅白戦で最速145キロを計測した。ウエスタン・リーグでも22試合に登板。しかし、一度メスを入れた右肘の違和感は最後まで消えることはなかった。この日、1度も1軍から招集がかかることなくレギュラーシーズンの最終戦を迎え、引退を決断した。

 05年はジェフ・ウィリアムス(現駐米スカウト)、藤川球児(現カブス)と最強の救援陣を形成し、名前の頭文字をとって「JFK」と呼ばれた。守護神として最後9回を任されて、リーグ優勝に貢献。胴上げ投手にもなっている。

 セットアッパーの7回に配置転換された07年にはプロ野球記録となるシーズン最多の90試合に登板。防御率も1・75で、日本タイ記録の46ホールド(当時)、日本新の55ホールドポイント(同)をマーク。同年から2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトルも獲得した。

 ただ、その裏で酷使された右腕が悲鳴をあげていたのだろう。自慢の速球が痛打されることが増え、球速も130キロ台にまで落ちたことがある。先発転向した09年には右肩を痛めた。

 それでも名実ともに猛虎史に名を残したのは確かだ。ある球団関係者は「苦しい中でも腐らずに(トレーニングを)やっていた。常に頑張っていた。練習態度も素晴らしい。(球団の)功労者」と功績を最大級に評価する。

 ジェフ、そして藤川に続いてJFKの最後の一人もついにタテジマのユニホームを脱ぐことになった。一時代を築いた背番号30の勇姿はもう見られない。

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