横浜2年ぶりV!渡辺監督「祖父子鷹」で26度目甲子園へ

[ 2013年7月31日 06:00 ]

<横浜・平塚学園>孫の渡辺佳明らナインに胴上げされる渡辺元智監督

神奈川大会決勝 横浜3―0平塚学園

(7月30日 横浜)
 第95回全国高校野球選手権大会(8月8日から15日間、甲子園)の地方大会は30日、3大会で決勝が行われた。神奈川大会では横浜が平塚学園を3―0で下し、2年ぶり15度目の甲子園出場を決めた。渡辺元智監督(68)は、孫の佳明内野手(2年)とともに「祖父子鷹」で通算26度目の甲子園に臨む。
【神奈川県大会の結果 地方大会の日程と結果】

 名将の体が3度宙を舞った。孫の佳明とつかんだ春夏通算26度目の甲子園出場。渡辺監督は格別な思いに浸っていた。

 「身内がやっているから体を鍛え直して陣頭指揮を執った。孫が(横浜で野球を)やりたいというのが励みになった」。04年に軽い脳梗塞で倒れ、甲状腺と喉頭に腫瘍が見つかった。その後も体調に不安を抱えており「体が駄目かなと諦めていた」と昨年は勇退まで考えた。しかし「佳明の方が私より苦しんでいる」とウオーキングとプールでのリハビリを続けた。気持ちを奮い立たせ、孫にノックの雨を降らせた。

 スタメンに8人の2年生を並べた甲子園通算50勝の名将が、0―0の5回に動いた。1死一塁からエースの8番・伊藤に犠打のサインを出しながらも「三塁手が飛び出してきたら打て」と指示。伊藤はバスターで左翼線を破り先制した。勢いに乗った打線はさらに連打で畳みかけ、この回3点。2年ぶりに神奈川の頂点に立った。

 孫で一塁手の佳明は、この日無安打だったものの、7回にフェンス際の一邪飛を好捕。大会通算では打率・320と5番打者として期待に応えた。富岡中3年時に「横浜でやりたい」と祖父に直訴した。当時1メートル65と小柄だったこともあり、渡辺監督からは「ユニホームを着れなくてもいいのか?」と脅されながら名門・横浜の扉を叩いた。入学後、身長は1メートル77まで伸びた。成長痛のため、常に右肘と左足の甲の痛みと戦っている。「痛み止めを飲まないと歩くのも痛い」と、この日も3錠服用し、決勝に臨んだ。

 渡辺監督の次女で、佳明の母・元美さんは、横浜高野球部合宿所の寮母を15年間務め、1日3度の食事の管理をしている。「これ(甲子園)を目標に父も佳明もやってきたと思う。夢みたいです」とスタンドで万感の思いを吐露した。渡辺家3人の願いが、ついにかなった。

 準々決勝で桐光学園・松井を攻略し、決勝では昨秋に苦杯をなめた平塚学園にリベンジを果たした。「祖父子鷹」で臨む夏。68歳の名将は試合後、佳明に「これからが厳しいぞ」とそっと声をかけた。

 ◆渡辺 元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日、神奈川県生まれの68歳。横浜から神奈川大に進学も右肩の故障で野球を断念。65年に横浜のコーチに就任し、68年から監督。73年センバツで初優勝するなど、5度の全国制覇。98年には松坂(現インディアンス)を擁し甲子園春夏連覇、明治神宮大会、国体の4冠を達成した。甲子園には春夏通算で25度出場し、歴代4位の通算50勝。

 ◆渡辺 佳明(わたなべ・よしあき)1997年(平9)1月8日、神奈川県生まれの16歳。六浦南小2年から野球を始める。富岡中では中本牧リトルシニアでプレーし、3年時は二塁手としてジャイアンツカップ4強。横浜では1年秋からベンチ入りを果たした。1メートル77、68キロ。右投げ左打ち。

続きを表示

この記事のフォト

2013年7月31日のニュース