りくりゅう引退会見 開始3秒で木原涙…三浦「泣かないで」 今後も続く2人の挑戦

[ 2026年4月29日 05:15 ]

会見冒頭から涙する木原龍一(右)とそれを見て笑う三浦璃来(撮影・小海途 良幹)
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 フィギュアスケート・ペアでミラノ・コルティナ五輪金メダルの三浦璃来(24)、木原龍一(33)組(木下グループ)が28日、都内で引退会見を開いた。泣き笑いの1時間で引退は五輪中に決断したことを明かした。今後は日本をペア大国にするべく「りくりゅうアカデミー」創設構想も明らかになり、改めてプロとして活動しながら指導者を志す決意を示した。

 積年の思いが、すぐにあふれ出た。会見開始3秒。あいさつを始めた三浦は、木原が泣き始めたことに気付き「泣かないで」とほほ笑みかけた。19年から駆け抜けた7シーズン。りくりゅうの活動が一区切りとなり、三浦は「たくさんの方に支えられ、走り抜けることができました」と晴れやかに報告した。

 引退を決断したのは、2月のミラノ・コルティナ五輪中。念願の金メダルを獲得した直後に「これは引退だね」と話し合った。昨年3月の世界選手権後から進退を意識し始め、フリーを勝負曲「グラディエーター」に2人の意思で変更。振付師やコーチに集大成のシーズンだと伝えた。出遅れた五輪SP後に大泣きした木原は「最後だと分かっていたのも涙の原因だった」と明かした。食事や睡眠など全てを金メダルのためにささげた日々は「一切の隙のない生活をした」。そう振り返った三浦は「全てを出し切れた」と語った。

 今後はプロとして演技を披露しながら、指導者の夢を持つ。日本ではペアの指導者がいないため海外拠点が通例。練習環境を含め、国内だけでトップ選手を育成するためには課題は山積だ。同席した木下グループ・木下直哉社長は「いつか2人のアカデミーをつくりたい」と強調。普及や育成を担う国内拠点を創設する構想を明らかにし、木原は「(競技開始の)最初の一歩が国内にできることになりハードルが下がる。やってみようという子が増える」と意欲的だった。

 資格取得が必要となるため、指導現場に立つのは数年かかる見通し。だが、前例のない道を進んできた2人にしか伝えられない経験がある。全日本選手権ですら出場2、3組に限られる厳しい現状だが「将来的に自分たちの生徒だけで表彰台を埋めたい気持ちは強く思っている」と三浦。競技会を去ることになったが、りくりゅうの挑戦は終わらない。

 【りくりゅうの歩み】
 ☆19年7月トライアウト 名古屋市内で初めて2人で滑り、好相性を実感。8月にカナダへ。
 ☆19年11月GPシリーズNHK杯 結成3カ月で迎えた初戦は8組中5位。20年四大陸選手権8位。20年世界選手権はコロナ禍で大会が中止。
 ☆21年10月GPシリーズ スケートアメリカで準優勝。11月のNHK杯では3位。日本人同士のペアとして初めて進出したファイナルはコロナ禍で大会が中止。
 ☆22年2月北京五輪 団体で銀メダル、個人では7位で日本勢ペア初入賞。3月世界選手権では過去最高の準優勝。
 ☆23年3月世界選手権 GPファイナル、四大陸選手権を含めシーズン主要国際大会総なめ。「年間グランドスラム」を達成した。
 ☆25年3月世界選手権 木原の腰椎分離症や三浦の肩の亜脱臼などを乗り越え、2季ぶりに世界一。
 ☆26年2月ミラノ・コルティナ五輪 団体で2大会連続の銀メダルに貢献。個人ではSP5位から大逆転で日本勢ペア初の金メダルを獲得。4月17日にSNSで引退を表明した。

 ◇三浦 璃来(みうら・りく)2001年(平13)12月17日生まれ、兵庫県宝塚市出身の24歳。中京大卒。5歳からスケートを始め、ペア転向後は市橋翔哉と17~19年の世界ジュニア選手権出場。19年から木原と組み、五輪、世界選手権、GPファイナル、四大陸選手権の主要国際タイトル全制覇「ゴールデンスラム」を達成。身長1メートル46。

 ◇木原 龍一(きはら・りゅういち)1992年(平4)8月22日生まれ、愛知県東海市出身の33歳。中京大卒。4歳からスケートを始め、シングルで11年世界ジュニア選手権代表。13年ペア転向し、高橋成美と14年ソチ、須崎海羽と18年平昌両五輪に出場し、計4度出場は日本勢最多。「りくりゅう」のベストはSP82・84点、フリー158・13点、合計231・24点。身長1メートル74。

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