宮地克実さん死去…ラグビー第1回W杯代表監督、三洋電機も指揮した「悲運の闘将」

[ 2026年4月28日 04:30 ]

08年、ラグビー日本選手権で三洋電機(現埼玉)の初優勝を喜ぶ宮地克実さん(右)
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 87年の第1回ラグビーW杯で日本代表監督を務めた宮地克実(みやじ・かつみ)さんが25日午後6時半ごろ、死去した。85歳。大阪府出身。選手、監督として所属した三洋電機(東京三洋)が前身となるリーグワン1部埼玉が27日発表。通夜は29日午後6時、葬儀・告別式は30日午後0時半から、いずれも群馬県邑楽町篠塚3152、セレモニーホール紫苑で。喪主は長男克徳(かつのり)さん。

 大阪・四條畷高から同大、東京三洋に進み、プロップとして活躍。日本代表でも1キャップを獲得。引退後は日本代表の監督を務め、3度目の登板となった87年には第1回W杯で指揮。林敏之、平尾誠二らを率いてオーストラリアなどと対戦したが3戦全敗だった。

 その後は三洋電機で監督を務め、社会人ラグビー屈指の強豪に育て上げたが、就任初年度の88年度から神戸製鋼の日本選手権7連覇がスタート。在任中は一度も社会人王者、日本一に導けず、「悲運の闘将」と呼ばれた。

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