再十両・紫雷に埼玉栄高から化粧まわし贈呈 不祥事で35キロ減…復活の支えは「感謝の気持ちと思いやり」

[ 2023年6月14日 17:19 ]

埼玉栄高で行われた化粧まわし贈呈式に出席した(左から)相撲部の山田道紀監督、紫雷、町田弦校長(撮影・前川 晋作)
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 大相撲名古屋場所(7月9日初日、愛知・ドルフィンズアリーナ)での再十両昇進が決まっている紫雷(しでん、31=木瀬部屋)が14日、母校の埼玉栄高で行われた化粧まわしの贈呈式に出席した。

 新十両だった昨年の初場所前に化粧まわしは贈られていたが、本場所の土俵でお披露目されることはなかった。新十両場所の直前に、違法賭博関与の疑いがあることが発覚。師匠の木瀬親方(元幕内・肥後ノ海)による判断で新十両場所は休場となった。準備していた締め込みや化粧まわしを締めることなく幕下に転落。そこから8場所を要してやっと再十両昇進を決め、晴れて化粧まわしの贈呈式が母校で開かれた。

 「もう一回上がらないと格好がつかない。絶対に上がってやろうという気持ちだった」。十両に上がれた喜びと感慨もひとしおだった。幕下転落からの1年半は、入門から新十両までの苦労した8年間よりも「長く感じた」という。不祥事発覚の2日後の21年12月24日、新十両となる初場所の番付発表日がくしくも30歳の誕生日だった。「何も考えられなかった。稽古もできず食べる気も起きず…」。失意のどん底に陥り、当時175キロあった体重は140キロまで落ちた。「これ以上体重計を見たら(気持ちが)持たないと思って見るのをやめた」。その後何キロまで落ちたのかは誰にも分からないが、わずか1カ月で35キロ以上も減ったことは確かだった。

 そんな時、埼玉栄高相撲部の山田道紀監督から「化粧まわしは(十両に)上がった証だから、受け取って頑張ってくれ」という言葉を掛けられ、化粧まわしが贈られた。「もう一回頑張るしかない。応援していただいた周りの方々に応えなければいけない」と改めて決意。当初は見ることできなかったという化粧まわしを前に「次に見るときは(関取として)つけるとき」と心に誓った。

 番付上では9場所ぶりの関取復帰だが、名古屋場所では初めて関取として化粧まわしを締めて土俵に上がる。「周りの人たちが支えてくれたからこそ相撲を続けることができた。この化粧まわしを締められることを皆さんに感謝して、15日間土俵で精いっぱい戦っていきたい」と決意を込めた。

 埼玉栄高相撲部の部訓は「感謝の気持ちと思いやり」。角界入りから9年半、不祥事も経験して改めてその言葉の意味を重く感じているという。関取になって楽しみにしていることは「後輩たちにお米を贈ること」。同校相撲部OB力士は、関取昇進時に米500キロを贈ることが恒例となっている。その姿は自身が高校生だった頃から見ており「かっこいいな、(自分も)贈れるようになりたいなと思っていた。恩返しができる」と感慨深げだった。再十両昇進を決めた31歳は「感謝の気持ちと思いやり」をこれからも体現していく。

 ◇紫雷 匠(しでん・たくみ)本名=芝匠。1991年(平3)12月24日生まれ、東京都町田市出身の31歳。立川練成館で小4から相撲を始め、中3で全中3位。埼玉栄高2年時に全国高校選抜弘前大会準優勝。3年時に全国高校選抜宇佐大会3位。日大1年時に東日本体重別無差別級準優勝。日大を卒業後、木瀬部屋に入門。14年春場所で初土俵。同年名古屋場所で序二段優勝。15年九州場所で幕下優勝。16年初場所で東幕下3枚目まで番付を上げるも、眼窩底骨折を経験するなど伸び悩み、22年初場所で30歳にして新十両昇進を果たす。1メートル76、157キロ。

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