熊谷移転元年の初代王者 埼玉が示したリーグワン発展の道筋と飯島均GMの仕事術

[ 2022年5月31日 11:15 ]

<埼玉・SG東京>リーグワン初代王者に輝き歓喜する埼玉の選手たち
Photo By 代表撮影

 トップリーグを刷新して今年1月に開幕したラグビーリーグワンは、「移転元年」の埼玉が優勝した。本拠地は埼玉県熊谷市。チームの東京一極集中でホームスタジアムの確保に苦しむリーグに、一石を投じる結果となった。

 新リーグは今季の1部12チーム中5チームの名称に「東京」が入り、うち3チームは拠点を都内に置く。もっと言えば横浜を名乗る旧キヤノンも練習拠点は東京都町田市にある。一方の埼玉も首都圏が活動拠点ではあるが、ホストスタジアムと、隣接する練習施設を確保。1試合は中止となったが、1部でホストゲーム全試合を同じスタジアムで実施したのは、埼玉と東葛(旧NEC)、同じ公園内にある2つのスタジアムを交互に利用した大阪(旧NTTドコモ)の3チームだけだった。三洋電機時代の97年から活動拠点にしてきた群馬県太田市からの移転を主導した飯島均ゼネラルマネジャー(GM、57)は「日本にはちょっと不便だけど、1万人規模のスタジアムが50くらいある。地域活性を名目にして移転するのが現実的」と説き、他チームや地方自治体の関係者にメッセージを送る。

 「さくらオーバルフォート」と名付けられた埼玉の本拠地は、官民連携事業によって生まれた。天然芝のグラウンド1面に、最新鋭の機具がそろったトレーニングルームを備えるクラブハウス、ラインアウト練習も可能な高い天井の屋内練習場を完備。3月には徒歩5分の場所に整形外科やリハビリが専門の「ワイルドナイツクリニック」がオープンした。「最初は“そんなの無理だろう。また(ホラ吹きが)始まった”と思われていた」と飯島氏。移転が実現できたのは、第一に同氏の情熱、慧眼、そして周りの人間を巻き込む力のたまものだったと感じる。

 トップリーグ時代の10~11年シーズン、悲願のリーグ初制覇を監督として果たした飯島氏は、かつてラグビー部長も務めていた伊藤精一郎社長への優勝報告の際、自ら「今年で監督を辞めます。私は大阪へ異動します」とたんかを切ったという。当時は「三洋電機」。そのラストシーズンに優勝し、11年4月からは「パナソニック」になることが決まっていた。親会社となるパナソニックも業績不振で、“外様”であるラグビー部の廃部が取り沙汰されていた時期。「誰かが本社に行かないといけない。口から出任せじゃないけど、ハッタリが利く私が行くのがいいと思った」。国道1号線を見下ろす1Kマンションに住ながら、存続に向けた“ロビー活動”を展開した。

 飯島氏の仕事ぶりが垣間見えるエピソードがある。12年、SH田中史朗(現東葛)が日本人初となるスーパーラグビー(SR)参戦が現地で報道される直前、当時専務だった野球指導者でもある鍛治舎巧氏に報告したところ、雷を落とされたという。チームの顔たるW杯戦士を、あろうことかシーズンの一部が重複するSRに送り込めば、当然戦力ダウンは避けられない。対価を払う会社の立場を考えれば当然の怒りだったが、そんなピンチもチャンスに替えた。

 「記者の人にも“どうして(田中を)出すんですか?”と聞かれたんだけど、そこで“実現したのは鍛治舎さんのおかです。あの方は本当に日本のラグビーの将来を考えておられる”って言ったんだよ。そうしたらそれが新聞に載ってさ。鍛治舎さんも(財界の)周りの方から褒められたんだろうね。“もっといい外国人を獲ってこい”と言ってもらえた」。同シーズン、試合数限定の契約ながら、パナソニックでプレーしたのが現役バリバリのオールブラックス、SBWことCTBソニービル・ウィリアムズだった。

 この手のエピソードを挙げれば枚挙にいとまがない飯島氏。「失敗もたくさんあった」というが、一芝居を打ちながら敵や傍観者すら味方にすることで、やがて大事業を実現するに至ったわけだ。ハコモノを作るのも、まずは人間関係づくり。「県の公園の中に練習場をつくると言っても、憲法を変えないといけないわけではない」。人脈を築くことで、不可能を可能にする知見やアイデアも得られる。決勝カードが決まった後は、趣味のバードウオッチングで「パナソニック対サントリーだから、オオルリ対キビタキみたいなもんだな。オオルリは青い鳥。キビタキは黄色い鳥だから」と2種の美しい鳥を近隣の野山に探し求めたという自称「バーダー」は、この成功体験をチーム全員で共有したいと、昨季終了後は自らの意思で引退や移籍を決めた選手以外、1人の首も切らなかった。

 「こういう時代をくぐってきて、こういう努力をして、こうなったというのを経験させたかった」。廃部危機を乗り越え、知力体力を振り絞って移転を実現した成功体験を、チーム全員に味わってもらいたい。「こういう経験を一生かけてもできる人が少ない中で、実体験することは大事なこと。各々にとって、ラグビーをやめても有益になるから」。選手、コーチ、裏方スタッフに至るまで、リーグ創設シーズンの優勝は、過去の戴冠以上の重みを持つことになるかも知れない。

 戦力、成績、ホストスタジアムの確保状況などは誰が見てもリーグ一だったはずだが、昨年7月までに完了したディビジョン分けの審査委員会の評価は、1部12チームの中でも中位にとどまった。ただ、そうした評価すら、飯島氏は気にする素振りがない。野武士らしく、“在野”を貫いて独自の発展を続ける埼玉。来季はどんな戦いと仕掛けを見せてくれるだろうか。(アネックスコラム・阿部 令)

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2022年5月31日のニュース