“かわいそう”の概念変える…試行錯誤から生まれた「パラ卓球台」 立石イオタ良二氏が進める“革命”

[ 2020年5月3日 13:00 ]

20年度活動報告会に参加した立石さん(下段左から2番目、19年11月撮影)
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 新たな視点と一風変わったアイデアで、パラ競技団体に革命を起こす。16年から日本肢体不自由者卓球協会の広報を務める立石イオタ良二さん(34)は「東京パラリンピックがあるからパラスポーツが注目されている」と冷静に判断する。鮮やかな青と黒を基調としたおしゃれな公式ホームページの作成、19年のカンヌ国際広告賞で金賞を受賞した「パラ卓球台」の企画製作など、これまでさまざまな施策を打ち出してきた。注目の高い今だからこそ、競技団体として何ができるか。パラ卓球の魅力を最前線で伝える立石さんが、思いを語った。

 かつてはインターハイでシングルス5位、専大在学中の全日本選手権ダブルス7位など成績を残してきた実力者。12年からは卓球を始めるきかっけであり、先天性二分脊椎症で両下肢機能障がいを抱える兄・アルファ裕一さんのコーチになり、パラ卓球の世界に飛び込んだ。

 16年リオデジャネイロ・パラリンピックでは日本代表コーチとして帯同。このときにある危機感を感じたという。「パラリンピックはメディアの数はもちろん、普通のパラスポーツの大会となにもかも違った。このまま東京を迎えて大丈夫なのかなって」。当時のパラ競技団体は運営や強化体制が機能しているのか懸念点があり、世間のパラスポーツへの興味も薄かった。自らが関わってきたパラアスリートたちの素晴らしさを伝えるため、立石さんは広報に就任した。

 パラスポーツに対する注目は高まりつつあるが、障がい者に対するネガティブな印象は拭い切れていない、と立石さんは感じている。「体験会に参加してもらっても“かわいそう”とか“大変だけど頑張ってね”で終わってしまうことが多いんです」。パラアスリートの魅力やエネルギーを伝え切れていない。ポジティブな印象を与えるために、さまざまな分野の関係者たちと試行錯誤を繰り返し、その1つが「パラ卓球台」だという。選手たちが障がいによって、実際はどう見えているのかを可視化した変形卓球台であれば「健常のゲーム感覚でできるからこそ、ちゃんと彼らの世界に落とし込めていると思います」と成果を語った。

 東京大会後も注目を集めるため、スポーツだけではなく、アートや教育といった別方向からのアプローチを行っている。先月24日から始まった「Going to 2021」では4週連続でアートとのコラボレーションを実施中。着々と歩みを進めている。「4年前は夢のようなことだったけど、1つ1つ実現してきた。東京大会が1年延期になったが、さらに準備をして、障がいという個性が社会に溶け込めるようなモデルケースをつくっていきたい」。そんな日は、もう目の前まで来ているのかもしれない。(記者コラム・小田切 葉月)

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2020年5月3日のニュース