吉村府知事の“名参謀”大阪のコロナ対策支えるスーパーウーマンは「いくつになってもチャレンジ」

[ 2020年6月7日 05:00 ]

ソーシャルディスタンスを保って撮影に応じる藤井睦子・大阪府健康医療部長(撮影・成瀬 徹)
Photo By スポニチ

 新型コロナウイルス感染症に立ち向かう強烈なリーダーシップで一躍名を上げた吉村洋文大阪府知事(44)。そんな知事が事あるごとに感謝する“名参謀”は、実は「いらち」なスーパーウーマンだった。コロナの医療対策で庁内に立ち上げた特別班250人の陣頭指揮を執る健康医療部の藤井睦子部長がこのほど、初めてスポーツ紙の単独取材に応じた。「いくつになってもチャレンジ」を信条にする女性リーダーの横顔に迫った。

 全国に先駆け、「入院フォローアップセンター」「大阪モデル」などさまざまな独自のコロナ対策を打ち出した大阪。吉村氏の発信力もあり、全国で注目を集めることになったが、実は実務を担う藤井氏らの取り組みは、当初から抜群のスピード感を誇っていた。

 神奈川県で国内初の感染者が出た1月16日。その10日後にはコロナ対策本部を立ち上げた。大阪で感染者が出る以前のことだ。それに合わせて1000人弱の健康医療部内に対策班を立ち上げてきた。「毎日、毎日“この業務が必要だから、こんな班を立ち上げる”という具合。急に4班立ち上げたこともあります」。最大25班で250人。感染者を1例ずつ追うチーム、マスクや防護服を調達する物資班、病院支援班、各国の情報収集など各班の業務は多岐にわたる。

 迅速さは国を圧倒していた。「私、せっかちなんです」と笑う藤井氏。実は医療の専門家ではない。「私は一貫して行政の人間で、この(医療分野の)仕事もまだ5年目。そういう意味では慣習、慣例にうといんだと思います」。いい意味で“しがらみのない”藤井氏と、「特定の団体から支援を受けてないのでしがらみを考えずに発信、実行できる」と言い切る吉村氏。自然と一体感が生まれた。

 1月末からはほぼ毎日顔を合わせ、休業要請など経済対策を担う「危機管理室」を交えて議論を重ねた。会見では吉村氏の隣に座り、ある日は「僕はうまくいくと思っているが、藤井部長が反対する」と暴露され、大阪の緊急事態宣言解除が決まった先月21日には、席上で「この日を迎えられたのは職員のおかげ」とねぎらわれた。「長時間頑張っているいろんな部署の職員に対して言葉を頂いたと思うと非常にうれしかった」。血の通った吉村氏の感謝の言葉に藤井氏の表情も和んだ。

 京大教育学部を卒業し、男女雇用機会均等法施行初年の86年に入庁。当時は女性が配属される職場も限定されており「若いころは壁というか“女性だから”ということを感じたこともあった」という。だが、総務部人事課を皮切りに企画、財務、教育と異動を重ね、自然と「壁」も感じなくなった。その間、2人の子どもを出産。毎朝4時起きで子育てと仕事を両立した。

 「自分の力はいくつになっても伸びると思っているんですね。だからいくつになってもチャレンジする」。50歳を過ぎ、現部署に異動した時も本を読みあさり「もの凄く勉強した」。そんなたくましさも備わった女性リーダー。まだまだ歩みを止める気はない。「凄く急いで作ったシステムが多い。だから小康状態の今のうちに、もっとスムーズに対応できるようバージョンアップさせたい」。必ず来るであろう「第2波」に向け、病床確保などの課題に早くも走り始めている。

 ≪藤井氏からみた吉村知事≫藤井氏から見た上司・吉村氏は「自身の“これをやりたい!”という事のために、具体的に組織に指示する人」。だが、「部下が意見を言えない雰囲気ではない」と良好な関係だ。4月までは藤井氏も含め、感染状況の把握などに深夜まで奔走。SNSでは「#吉村寝ろ」と知事の体調を気遣う声も上がったが「知事は寝てます、と仰る。ただ1月からずっと、毎日、もの凄くコロナの事を考えておられる」と代弁した。独自政策の裏には前例のない危機事象を誰より考え、動くリーダーたちの存在があった。

 ※「いらち」=関西地方の方言。「せっかち」「気が短い」という意味で使われる。

 ◆藤井睦子(ふじい・むつこ)1962年(昭37)生まれ、大阪出身。京大教育学部卒業後の86年4月、大阪府入庁。に採用される。主に総務、財務、教育の業務に従事し、15年、府立病院機構に出向し初めて医療分野を手掛けることに。17年4月から現職。

続きを表示

この記事のフォト

「三浦春馬」特集記事

「ジャニーズ」特集記事

2020年6月7日のニュース