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今西和男さん死去 85歳、肺炎 日本代表監督の森保一氏を発掘、スカウト 元サンフレッチェ広島GM

[ 2026年4月16日 10:57 ]

森保監督にエールを送る今西和男さん
Photo By スポニチ

 元サンフレッチェ広島GMで、日本代表監督の森保一氏を広島の前身・マツダにスカウトしたことでも知られている今西和男(いまにし・かずお)さんが16日未明、肺炎のために広島市内の病院で亡くなった。85歳。広島市出身。13日に体調を崩して入院していた。

 今西さんは1945年8月に広島市内で被爆し、左足に大やけどを負った。左足のやけど痕がケロイドになっていじめにあったが、相撲が強く、ガキ大将になったという。野球をやりたかったものの野球部には入らず、広島県立舟入高校2年生のときに球技大会の活躍が認められてサッカー部にスカウトされた。左足のケロイドで、うまくボールが蹴られなかったが、運動能力の高さと強烈なタックル、俊足でたちまち頭角を現した。東京教育大学(現・筑波大)では1年生からレギュラーになり、東洋工業に入社後はDFとして、日本リーグで活躍。日本代表にも選ばれたが、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)に悩まされて69年に29歳で現役を引退した。

 1年間コーチを務めた後は社業に専念し、営業マンとして抜群の成績を残していたが、低迷していたサッカー部再建を託されて83年にマツダサッカー部副部長に就任。「サッカー部を離れていた13年間で、サッカーは大きく変わった。私が指導するより外国人監督を呼んだ方がいい」と。ハンス・オフト氏をコーチとして招へいし、チームの立て直しをはかった。実質的にはオフト氏が監督で、今西さんは肩書きこそ監督だったが、ゼネラルマネジャー(GM)だった。Jリーグ設立時にはサンフレッチェ広島の取締役強化本部長に就任、2年目の94年第1ステージで優勝した。その後は日本サッカー協会強化委員やFC岐阜の社長などを務めた。

 日本代表監督の森保氏を発掘したことで知られている。森保氏は高校時代、全国的には知られていなかったが、長崎日大高校の下田規貴(きよし)監督から「ぜひ見てほしい選手がいる」と頼まれた。オフト氏と共に長崎まで見に行ったが、特別足が早いわけでも、技術があるわけでもなく、獲得を見送ろうとした。しかし、練習後に話をしてみると、じっと目を見て話を聞く姿に「これはただ者ではない」と直感し、獲得を決めたという。それでも「まさか日本代表監督になるとは思わなかった」と話していた。風間八宏氏や高木琢也氏らも今西さんが育てた選手。選手の可能性を見抜く目は超一流だった。

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