×

【井原正巳 我が道5】ユース代表で初の海外遠征 指摘されたのは精神的な弱さ

[ 2025年7月5日 07:00 ]

高校2年生の時のユース代表候補合宿で(左から4人目)
Photo By スポニチ

 1年生の時に国体に出場しゴールを決めたことで、ナショナルトレセンに招集された。全国から選手が呼ばれていたが、その流れで高校生の東西対抗に、さらに2年生になった5月のトレセンにも選ばれた。そこでも評価されて、新たに大会が開催されるU―17世界選手権のアジア予選へ向けたユース代表の強化と選考を兼ねた中国遠征メンバーに選ばれた。監督は岡村新太郎さんで、7月15~28日に中国・瀋陽で開催された招待大会「中国青年杯国際大会」に参加した。1次リーグで上海、大連、瀋陽に3連勝したが、準決勝でエジプトに敗れ、3位決定戦でも大連に敗れた。

 私にとっては初めての“日の丸”で、海外に行くのも初めてだった。後にJリーグで活躍したGK真田雅則(元清水)、元慶応大学監督で現教授のMF須田芳正(元浦和)らがいた。私は最初はスタメンだったが、ポジションはサイドが多く、次第に控えに回され、3位決定戦ではベンチ外。代表に選ばれた喜びよりも、試合に出られない悔しさの方が強かった。遠征が終わって解散する時、岡村さんから「精神的に弱い。そこを直せ」と指摘されたが、自分ではそう思っていなかったのでショックだった。

 その後はユース代表候補の合宿に招集されることもなかった。それでも、「いつもこういうところに呼ばれるようになりたい」と思い、高校での練習には全力で取り組んだ。6月に高校総体の予選があり、前年に続いて出場権を獲得。秋田で開催された大会では3回戦で武南高校(埼玉)にPK戦で敗れた。国体は奈良で開催され、私も前年に続いて滋賀県選抜に選ばれたが、初戦で鹿児島県に勝ったものの、2回戦で茨城県に0―1で敗れた。

 高校選手権の滋賀県大会は、順調に勝ち上がり、決勝で水口(みなくち)高校と対戦することになった。1年生の時に1回戦で負けた相手で、「リベンジのために1年間やってきた」といっていいほどモチベーションは高かった。確か、私もゴールを決めて、3―0で勝利、ついに高校選手権出場を決めた。ようやく前年の悔しさを晴らしたが、「出ることが目標ではなく、全国でより上位に行きたい」と82年度のベスト4以上が目標だった。年末に上京し、宿舎は確か上野の近くだった。元日に国立競技場で開催された天皇杯決勝の前に開会式があったと思う。初戦は1月2日、大宮サッカー場で日立工業(茨城)と対戦、1―2で敗れた。スタンドの応援が日立工業の方が圧倒的に多く、気持ち的に押されて思うように自分のプレーができなかった。憧れの舞台だったが、1試合で終わってしまい、悔しさだけが残った。この年は高校総体、国体、高校選手権と全て出たが、目標からは程遠い結果ばかりだった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

この記事のフォト

「サッカーコラム」特集記事

「日本代表(侍ブルー)」特集記事

サッカーの2025年7月5日のニュース