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五輪メダル目指すならOA枠必須だが…次世代へ“反町流”選考も

[ 2016年2月9日 09:32 ]

2008年8月、北京五輪・男子サッカー1次リーグでナイジェリアに敗れて敗退が決まり、雨に濡れながら引き揚げる反町康治監督

 U―23日本代表がリオデジャネイロ五輪出場を決め、今後は本大会メンバー18人の選考が本格化する。アジア最終予選を兼ねた1月のU―23アジア選手権の23人から5減となる狭き門。24歳以上のオーバーエージ(OA)3枠をフル活用すれば、U―23世代は15人しか五輪を経験できなくなる。

 五輪メンバーの選考で印象に残っているのが、08年北京五輪で日本を率いた反町監督(現J2松本監督)の方針だ。本大会メンバーを選ぶ最終会議でセンターバックに青山直晃(現タイ1部ムアントン)と吉田麻也(現サウサンプトン)の、どちらを選ぶかでスタッフの意見は分かれていた。アジア予選で主力だった青山と、五輪イヤーに入り急成長した吉田。実力はきっ抗しており経験値では青山に分があったが、指揮官は「伸びしろのある方を選ぶ」と一部の反対を押し切り、吉田に決めた。他にもアジア予選では招集しなかった香川、豊田らを選出。予選の貢献度に関係なく、将来性を意識した選考基準は一貫していた。

 北京五輪は1次リーグ3戦全敗に終わったが、2年後の10年W杯南アフリカ大会では本田、長友らが主力で活躍して16強入り。北京五輪メンバーの当落選上にいた吉田もザッケローニ体制以降はA代表の守備の要に君臨する。北京五輪で反町監督は大久保、遠藤のOA枠での招集を試みたが、大久保は所属クラブとの調整がつかず、遠藤はウィルス性感染症にかかったため断念。結果的にOA採用を見送ったことが北京世代の成長につながった可能性もある。

 個人的にメダルを目指す上でOAは使うべきだと考えている。目先の大会で本気で結果を求めなければ、今後の日本サッカー界の発展はない。一方で、アジア予選など過去の実績にとらわれない、将来を見据えた“反町流”の選考から参考にすべき点も多いと思う。U―23日本代表の手倉森監督は、W杯南アフリカ大会で日本を指揮した岡田監督に食事のアポを取っていたが、是非、反町監督とも一席設けていただきたいものである。(木本 新也)

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2016年2月9日のニュース