【純情牧場巡り】スティールキャスト 菊花賞の大逃げから24年…故郷で元気です!

[ 2018年8月21日 12:49 ]

地方移籍後“行方不明”…約10年前に吉田牧場に帰る

生まれ故郷の吉田牧場で悠々自適の日々を過ごしているスティールキャスト
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 JRAから笠松、荒尾と渡り歩き、約5年半の現役生活で69戦4勝。決して優秀な成績を残したわけではないが、スティールキャスト(牡27)は生まれ故郷の吉田牧場(北海道安平町)で悠々自適の日々を過ごしている。広い放牧地に同じく功労馬のフジヤマゲンスイと2頭。場長の吉田晴雄さん(74)がニンジンを与えながら近況を語る。

 「正直な話、地方に移籍した後の行方は分からなかったんですが、縁があって10年ぐらい前に帰ってきました。年を取ったことで肉が落ちているし、歯も悪くなったけど、元気ですよ」

 祖母は米国の名牝タイプキャスト。母は1980年天皇賞・秋で歴史的な大逃げVを決めたプリテイキャスト。それだけに生まれた時から期待は大きかった。

 「古い話だから記憶は定かじゃないけど、知り合いの馬主に権利の半分を、確か1500万円ぐらいで売ったんです。結果的にプリテイの子は全然ダメでしたけどね。東大出の父ちゃんと母ちゃんの子どもが楽勝で東大に入れるとは限らない。それと一緒ですよ」

 最も輝かしい実績は、5歳時に日本海S(900万下)を勝ったことだろう。ただ、この馬がファンに最も強烈な印象を残したのは、3歳時の94年菊花賞で間違いない。デビュー勝ちまで3戦を要し、その後も勝利から遠ざかったがフルゲートにならなかったため、クラシック第3戦へのエントリーがかなったのだ。

 ナリタブライアンが3冠を成し遂げた一戦で、スティールは大逃げを打った。残り1000メートルでも2番手に3秒差。最後は“歩いて”4秒4差の14着に沈んだが、レース中盤の場内の大歓声はブライアンではなく、この馬に向けられたものだった。関西テレビ・杉本清アナウンサーの「プリテイキャストを思い出させるスティールキャストの大逃げ」という実況は、何よりの勲章だっただろう。吉田さんは「猛烈に逃げましたね。3角でアッと思ったけど、ぴったり止まった」と懐かしそうに振り返る。

 最盛期は年間30頭以上を生産した吉田牧場だが、今年の当歳は4頭のみ。吉田さんは「タイプキャストの血統も残っていないんですよ」と少し寂しそうだ。今も昔も緑が生い茂る故郷で、スティールキャストも在りし日をしのんでいることだろう。

 ◇角田師(騎手時代に菊花賞でスティールキャストに騎乗)懐かしいですね。森先生から「後続を離して逃げてくれ」という指示があったのを覚えています。向こう正面で後ろを見たら誰もいなくて、スタンドが沸いていた。テレビ馬じゃないけど、昔はああいうレースをする馬がいましたね。

 ◆スティールキャスト(牡27)1991年4月11日生まれ。父マグニテュード、母プリテイキャスト。愛国産。生産者は北海道勇払郡安平町(旧早来町)の吉田牧場。祖母は72年の米最優秀古馬牝馬に選出されたタイプキャスト。母は80年天皇賞・秋を8番人気で逃げ切った名牝。現役時代はJRAで38戦3勝。その後は笠松と荒尾に所属して31戦1勝。94年菊花賞では母をほうふつとさせる大逃げで場内を沸かせたものの、勝ったナリタブライアンから4秒4差の14着に沈んだ。総獲得賞金は8128万4000円(うち地方で508万4000円)。

 ◆吉田牧場 北海道勇払郡安平町の競走馬生産牧場。1897年に吉田権太郎氏が創業した。現代表は元騎手の吉田晴雄氏。主な生産馬に1966年桜花賞馬のワカクモや、その産駒で77年天皇賞・春と有馬記念を制したテンポイント、95年香港国際カップなどを制したフジヤマケンザンがいる。

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