【ドバイWC】ホクトベガの悲劇、トゥザ2着…ドバイ制覇までの16年

[ 2011年3月27日 12:22 ]

 ヴィクトワールピサが日本競馬界の悲願を達成した。UAEドバイのシェイク・モハメド殿下の発案により96年に開催されたドバイ・ワールドカップ。1着賞金600万ドル(約4億8000万円)の高額賞金を呼び水に、世界から名だたるスターホースが集うレースに日本からは今回の3頭を含め過去19頭が参戦。日本馬初制覇までには16年という長い年月を要した。

 ナドアルシバ競馬場のダート2000メートルでスタートした第1回に日本代表として出走したのが5歳牡馬ライブリマウント。石橋守とのコンビで6着に健闘したものの、勝った米国のスターホース、シガーには18馬身3/4差離された。世界のトップレベルとの差はまだまだ大きかった。

 97年には「砂の女王」ホクトベガが異国で散った。交流戦10連勝と文句なしの成績で日本代表に選出されて臨んだレースは、4コーナーでつまづき転倒。左前脚複雑骨折で予後不良と診断され、現地で安楽死処分となった。

 世界制覇にもっとも近づいたのは01年のトゥザヴィクトリーだった。武豊とともに挑み優勝争いを繰り広げ、600メートルの長い直線の前に力尽きたものの2着を死守した。

 以降はカネヒキリやヴァーミリアンら日本ダート界のスターが挑んだがトゥザヴィクトリーの順位を上回る馬はいなかった。

 昨年開場されたメイダン競馬場に舞台が移ったことで転機は訪れた。ダートから全天候型のオールウエザーに馬場が変更されたため、出走メンバーがバラエティーに富むようなった。

 それを証明するように今回は、日本から芝砂両方のトップホースが参戦した。米英愛などから計14頭で行われたレースで、芝の王者ヴィクトワールピサが優勝、砂の王者トランセンドが2着に入る快挙。日本競馬に歴史の新たな1ページが刻まれた。

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2011年3月27日のニュース