オグリら輩出した笠松競馬場が消滅危機

[ 2008年5月30日 06:00 ]

 オグリキャップなど名馬を輩出した笠松競馬場(岐阜県笠松町)の地主の一部が、賃貸借契約の終了後も敷地を占有されているとして、競馬を運営する県地方競馬組合を相手取り、土地の明け渡しなどを求めた訴訟の判決で、岐阜地裁の野村高弘裁判長は29日、地主側の訴えをほぼ全面的に認め、組合側に土地の明け渡しと損害金の支払いを命じた。明け渡しの仮執行は棄却され、組合側は控訴する方針のため、レースは当面存続する。

 判決理由で野村裁判長は、「2005年度で契約が終了したと認められる」などと指摘。1坪当たり1700円の損害金の支払いも命じた。組合側は「契約は自動更新で、競馬が続く限り有効」と主張していた。
 訴状などによると、県地方競馬組合は岐阜県、笠松町、岐南町で構成され、競馬場敷地の98%が私有地。06年3月、地主らは同年度賃貸料として1坪当たり1920円の支払いを組合に要求。しかし、組合は競馬場の経営悪化を理由に、05年度の固定資産税相当額(約500円)の1・2倍程度しか支払えないと回答、交渉は決裂した。

 組合管理者の笠松町の広江正明町長は会見で「競馬場存廃の根幹にかかわり、容認できない」と語った。判決通りの賃料だと、06年度からの3年分で約1億300万円の追加支出が発生し、赤字に転落すると説明した。
 ▼笠松競馬メモ 笠松競馬の発祥は1934年。名馬を多く輩出するなど「地方競馬の雄」と呼ばれた。しかし、売り上げは80年度の約444億6000万円をピークに下がり続け、93年度以降は12年連続で赤字となり廃止論が浮上。経営改革などで辛うじて黒字を計上し存続したが、岐阜県は05年、再び赤字に転落した場合は廃止を検討すると宣言。また、03年に安藤勝己騎手がJRAへ移籍するなど、有力ジョッキーの流出が相次いだ。電話投票(インターネット投票含む)の伸びが目立ち、総売り上げは06年度に約116億8000万円で前年比微増。07年度も約122億5000万円と増加傾向だが、楽観視できる状況にはない。

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2008年5月30日のニュース