「ゲージツ家のクマさん」篠原勝之さん死去「ついにね、オサラバの時が きちゃったよ。」84歳、肺炎

[ 2026年4月26日 05:25 ]

94年、作品「オブジェ・風弦」を背に満足げな表情を浮かべる篠原勝之さん
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 「ゲージツ家のクマさん」の愛称で親しまれ、1980年代にフジテレビ「笑っていいとも!」にも出演した美術家の篠原勝之(しのはら・かつゆき)さんが17日、肺炎のため奈良市の病院で死去した。84歳。札幌市出身。故人の遺志で葬儀・告別式は行わない。篠原さんのインスタグラムで25日に発表された。

 篠原さんが17日朝に近親者に口頭で託したという「ついにね、オサラバの時が きちゃったよ。いっぱい感謝して、旅にいきます。アバヨ。」のメッセージも掲載された。昨年12月、咽頭がんで放射線治療を受けていたことを公表していた。

 高校在学中に家出し、上京。武蔵野美術大中退後、広告制作会社に就職したが数年で退社。「二度とサラリーマンにはならない」という決意表明として髪の毛をそり上げ、頭髪のないスタイルがトレードマークになった。

 劇作家の唐十郎さんが主宰した劇団・状況劇場のポスターや舞台美術を担当しながら執筆活動も始め、81年に発表したエッセー「人生はデーヤモンド」がヒット。同書を読んだフジテレビの横澤彪プロデューサーから「笑っていいとも!」に抜てきされた。タモリ(80)やビートたけし(79)と親交を結び、テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」や、テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」にもレギュラー出演。着流しにマフラー姿でお茶の間に親しまれた。

 本業の芸術では、鉄を素材に大型のオブジェを制作。自らを「鉄のゲージツ家」と称した。「ゲージツ家」と名乗ったのは、差別化を図り仕事を増やすためだったという。米ニューヨークで個展を開催するなど海外でも活躍した。今春公開されたコピーライター糸井重里氏(77)らとの座談会では篠原さんは、糸井氏の「(死ぬときは)隠れて消える方がいい」の言葉に「俺もそれがいいな」と話していた。

 篠原 勝之(しのはら・かつゆき)1942年(昭17)4月15日生まれ、札幌市出身。生後すぐにジフテリアにかかり、嗅覚と左耳の聴覚を失う。バブル時代にビル解体現場で見た鉄骨を“時代の残骸”と感じ、鉄を溶接する作品を発表。中山美穂さん主演映画「Love Letter」にも出演。文筆では2009年「走れUMI」で小学館児童出版文化賞、15年に短編小説集「骨風」で泉鏡花文学賞を受賞した。

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