【山本譲二 我が道21】昇司の不器用さも可愛かった 自分と似たような空気感を持っている男

[ 2026年4月22日 07:00 ]

弟分の小金沢昇司(右)と焼き肉店で
Photo By 提供写真

 小金沢昇司は可愛い弟分でした。歌手デビューするまで5年ぐらい北島三郎さんの付き人をしていましたから、1983年ごろに事務所に来たはずです。後に「1年ぐらい兄さんに口も利いてもらえなかった」と文句を言ってましたが、無視していたのではなく、どんなヤツか分からないから放っておいた感じです。

 北島さんに押しかけ弟子入りしてからデビューにこぎ着けた自分の後を追っている節がありました。ただ昇司の場合、割と要領が良かった自分とは違い、少しドジでよくオヤジに怒られていましたね。付き人だから、オヤジに付いて歩くのは当然ですが、しばしばオヤジの着物の裾を踏むのです。「バカヤロー」とよくゲンコツを食らってました。オヤジはサイダーが好きで常に用意しているのですが、ある時、昇司がサイダー瓶を振ってました。「何やってんだよ」と指摘すると「炭酸がきついのは先生は苦手なんです。少し気を抜いたほうが良いので」と説明するのです。しかし案の定、オヤジが飲もうとした瞬間に「ブシュー」と泡が大量に噴き出して、衣装まで濡らしました。マンガみたいな光景です。オヤジも凄かった。さっと腕時計を外したのです。衝撃で高級時計が壊れないように外してから、昇司の頭を思い切りブン殴ってました。もう時効でしょう?

 あいつの仲人もしました。一緒に飲んでいる時「兄さん、俺たち式挙げてないんです」と言われました。「それで?」「俺たち、グアム島で出会ったんです。だから、グアムで式できたらいいなと思うんです」。そこまで言われたら「分かった。お前と女房、親族一同、オレが連れて行ってやるよ」と言うしかありません。99年1月3日、グアムでの式には、急きょ吉幾三も駆け付けてくれました。帰りの飛行場で、挙式などを録画したビデオテープがないと騒ぎ出し、慌ててホテルに捜しに戻ったという昇司らしいオチもありました。

 自分の独立の7年後、昇司も14年に独立して頑張ってました。20年11月に交通事故を起こして逮捕されたと連絡が来ました。警察に飛んで行き、弁護士も付けました。本来たいした事故ではなく、相手も「全然大丈夫です」と被害届も出しませんでした。しかし昇司が自分で警察を呼びました(結局、不起訴処分)。そういう生真面目なヤツでした。その頃から体調を崩していたのは事実です。24年1月に亡くなる1カ月前、女房と見舞いに行きましたが、別人のようにやつれていました。

 変なこだわりがあって、他の後輩が自分のことを「兄さん」と呼ぶことを本気で嫌がっていました。「兄さんと呼んでいいのはオレだけだ。お前たちは譲二兄さんと呼べ」と言ってました。年下のくせに、自分のことを必死に面倒見ようとしてくれました。本当に不器用だけど、その不器用さも可愛かった。自分と似たような空気感を持っている男でした。オレよりも先に逝くなんて、許せません。

 ◇山本 譲二(やまもと・じょうじ)本名同じ。1950年(昭25)2月1日生まれ、山口県下関市出身の76歳。早鞆高3年の67年、夏の甲子園出場。74年に「伊達春樹」として「夜霧のあなた」で歌手デビュー。北島三郎に師事し、78年「山本譲二」として再デビュー。80年発売の「みちのくひとり旅」が81年にかけてロングヒット、ミリオンセラーに。NHK「紅白歌合戦」に計14回出場。

「小金沢昇司」特集記事

「美脚」特集記事

芸能の2026年4月22日のニュース