林家正蔵 海老名香葉子さんお別れの式「お袋の子供で幸せです」 最期を明かす「ジングルベルを歌い…」

[ 2026年1月9日 11:38 ]

<海老名香葉子さんお別れの式>海老名香葉子さんの思い出を語る(左から)峰竜太、林家正蔵、林家三平(撮影・須田 麻祐子)
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 昨年12月に死去した初代林家三平さんの妻で林家正蔵(63)の母・海老名香葉子(えびな・かよこ、本名嘉代子=かよこ)さん(享年92)のお別れの式が9日、東京都台東区の寛永寺輪王殿で開かれた。長男で落語家の九代目林家正蔵(63)があいさつをした。

 開口一番、「泣いて、笑って、頑張って」と口にした正蔵。「母がよく奇麗な字で色紙に書いていた言葉。これはもう母の人生そのものだったと思います」と話した。

 香葉子さんは東京大空襲で両親ら家族6人を失った。「東京の焼け野原、戦災孤児になって迷っていたところを実家の『竿忠』のご贔屓の三代目三遊亭金馬師匠に引き取られ、落語家というご縁をもって、七代目林家正蔵長男・林家三平と一緒になりました。時代の波に乗った父親はみるみるうちに日本中を笑いに巻き込む凄い落語家になった。芸能プロダクションに入っていませんから、母が黒電話で1つ1つ仕事を取り、裏方に徹して林家三平を支え、多くの弟子、子供たちを育てました」とたたえた。

 香葉子さんはかつて「60歳になったらお父さんと一緒にのんびり暮らしたいな」と話していたが、その願いは叶わず。夫・三平さんはは1980年、54歳の時に亡くなった。当時、長男の正蔵は17歳、次男の二代目林家三平は小学生。香葉子さんは正蔵に「お母さんね、働くよ。お父さん亡くなったらお金が入ってこないんだから。お母さん働くから安心しな」と声をかけたという。「人前でおしゃべりなんか苦手だったはずの母が講演会の仕事をいただき、日本中に行ってお話をし、戻ってくれば徹夜で原稿用紙に向かう。そんな母親の姿をずっと見ていました。楽させてあげたいなと思うばかり」と振り返った。

 「92年の人生、そんなに駆け足でいかなくてもいいのに。いつも一生懸命。周りの家族が疲れちゃうくらい一生懸命でした」と吐露した。

 海老名さんが亡くなったのは昨年12月24日。病室には長女・美どり、次女・泰葉、長男・正蔵、次男・三平の4兄弟、正蔵の妻、正蔵の娘が集まったという。「みんなでジングルベルを歌いながら、お袋はサンタさんのそりで、空襲で亡くなった家族、そして父の元へと向かいました」と最期を振り返った。「お袋、クリスマスイブが命日だなんてしゃれたことするな。お袋の命日忘れられないよ。クリスマスイブは騒いでいいのかいけないのか分からなくなっちゃうじゃないか。落語のオチだよ。うまいことやりやがったな、お袋。素敵だな」と天国の香葉子さんに話しかけた。

 「そんなお袋の子供で俺は幸せです。感謝申し上げます。お袋ありがとう」と声を詰まらせ、「お袋は本当に人の縁を大事にしてきました。みな全てお袋の縁を大事にします。俺は落語家を父さんのようにはなれないけれども、真っ当にやっていきたいと思います。安心して旅立ってください」と天国の母に誓った。

 「本日はお寒い中、海老名香葉子お別れの会にご列席を賜り、心から感謝いたします。本日はどうもありがとうございます」と参列者への感謝の言葉で締めくくった。

 香葉子さんは1933年生まれ、東京都出身。52年に初代林家三平さんと結婚。三平さんの死後、45年にわたって一門の存続に尽力した。個人事務所「ねぎし事務所」の代表取締役を務め、95年には三平さんゆかりの品を展示する「ねぎし三平堂」をオープンした。また、自身の戦争体験から、執筆活動を通じて平和の訴えを続けた。長男は九代目正蔵、次男は二代目三平。長女の美どり、次女の泰葉も芸能界で活躍している。美どりの夫は俳優の峰竜太。

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