「死ぬこと以外かすり傷」──.BPM日南千穂 落選20回、病気休養…それでもステージに立ち続ける理由

[ 2025年12月27日 12:05 ]

【画像・写真2枚目】「本気でふざけてます」――.BPM日南千穂 「恋ニフツカヨイ」で挑むZeppワンマンという“最高の一杯”(撮影・高任芹奈)
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 結成5周年を迎え、12月2日に初アルバム「The .BPM WONDER」をリリースした5人組「.BPM(ドットビーピーエム)」。昨春加入した日南千穂がスポニチ東京本社でソロインタビューに応じた。オーディション落選、所属グループの解散、そして今年は病気で約2カ月の活動休止。人生で突きつけられる「NO」をどう乗り越えてきたのか。芯を支えていたのは「死ぬこと以外かすり傷」という言葉だった。(「推し面」取材班)

 中学生の夏、剣道部の練習が長引いた。竹刀袋を肩に引っ掛け、汗の残るまま駅へ駆け込む。目的地は東京ドーム。大好きだったAKB48の初・東京ドーム公演だ。開演から約30分遅れで客席に滑り込んだ、その瞬間――耳の奥がじんと痺れるほどの歓声が、身体ごと押し寄せた。「耳鳴りがするくらいの感動が忘れられず、『アイドルのライブっていいな』と確信しました」。地響きのようなコール、視界を埋め尽くすペンライトの波。遅れて入ったからこそ、完成された熱狂の“渦の中心”にいきなり放り込まれた。あの景色を、いつか自分も放つ側で見たい。胸の奥に火がついたのは、この夜だった。

 原点はさらに幼い。ミニモニ。やプリキュアが大好きで、クラシックバレエを習い、踊ることが日常だった。卒園アルバムに書いた将来の夢は、迷いなく「アイドルになりたい」。小学生の頃からライブへ通い、応募できる年齢になるとAKB48グループのオーディションを受け続けた。だが、高校2年生くらいまで結果は出ない。「ずっと受からなくて」。淡々とした一言の裏に、積み重ねてきた時間の重みがある。

 落選は、数えるほどではなかった。「グループ全体のを受け続けていたので、20回くらいは受けているかもしれません」。名古屋・栄のSKE48、新潟のNGT48――地方への引っ越しも辞さない気概で臨んだこともある。夢だったから、お金のことは気にならなかった。

 それでも受からない。理由を探し、体型だと決めつけた時期もあった。「当時は中学生で今思えば太っていなかったんですけど」。剣道部の練習後にジョギングへ出て、ダイエットにのめり込み、母や友達に写真を撮ってもらう。さらに「755」でトークを開き、「48グループに入りたい」と発信して応援を集めた。「今思うとちょっと黒歴史ですけど(笑)」。笑いに変えても、夢にしがみつくように必死であがいた事実は消えない。

 一度、別の道へ進もうと考えたこともあった。進路に悩んだ末、「もう一つの夢を叶えよう」と台湾の大学へ留学する。理由は明確だった。「ずっとオーディションに受からなくて、自分には強みがないなと思ったんです。何かこれと言ったものを作りに行きたい」。選んだのは中国語。日中ハーフで、小さい頃に中国語に触れる環境があったことも背中を押した。台湾は親日的な人が多く、「日本人が来たぞ」と大歓迎されたという。現地の友人に支えられ、「自分が日本人であることを誇りに思えるほど温かい場所でした」。折れかけた自己肯定感を、異国の優しさがつなぎ止めた。

 留学から帰国し、オーディションを受けて一度はアイドルになった。だが、そのグループは1年足らずで解散する。解散後は約1年、決まらない時期が続いた。配信者(ライバー)として活動し、そちらが上手くいっていたこともあり、年齢(当時25歳)も考えて「もうアイドルはやめよう」と12月に決めた。安定へ向かうはずだった足を止めたのが、.BPMのオーディションだった。たまたま見つけ、YouTubeの動画を全部見たら「入りたい!」が湧き上がった。「運命だと思って、本当に最後の最後に受けました」。

 なぜそこまで「ステージ」にこだわったのか。答えは、前のグループで立った豊洲PITにある。約3000人規模の会場から見た景色が、瞼の裏に焼き付いて消えない。「忘れられなさすぎて、どこかで諦めきれない思いがありました」。客席で見た東京ドームの熱狂と、ステージ上で浴びた豊洲PITの光。その両方を知ってしまった以上、簡単には終われなかった。

 2024年4月、.BPMに加入。“回り道”はすぐに武器として立ち上がる。活動3カ月ほどで香港と台湾へ遠征し、現地の人々と中国語で会話。物販では通訳も担った。さらに楽曲「Boom Boom Bee」を中国語に翻訳し、メンバー全員で披露した。「そのとき『本当に留学してよかった、欠かせない存在になれた』と思えました」。強みが欲しくて掴みに行った言葉が、グループの現場で“役割”になった瞬間だ。

 だが試練は続く。今年、病気で約2カ月の活動休止を余儀なくされた。「『もう帰れないかもしれない』と悩み、辞めるべきか戻るべきか本気で考えました」。そんな時に心をつなぎ止めたのは、休止中も毎日Xに届いたファンの言葉だった。「待っていてくれる皆さんの言葉に、本当に勇気をもらいました」。復帰後、心境は変わった。「それまでは『自分が好きだからアイドルをする』という気持ちでした。でも、復帰してからは『ファンの皆さんのために頑張りたい』という気持ちが強くなりました」。夢が自分のためから、誰かのためへ。支えが増えた分だけ、踏ん張りも効くようになった。

 大切にしている言葉がある。

 「死ぬこと以外かすり傷」。

 落ち込みやすい自分が思考の底へ沈まないよう、あえて掲げてきた合言葉だ。「苦しい時期に『どうして自分はここに存在しているんだろう』と考えたりもしましたが、今は『生きてるから大丈夫でしょう』と楽観的に切り替えるようにしています」。落選約20回も、解散も、病気も。痛みの総量は減らせなくても、“生きて戻ってきた”という事実が、言葉を空疎な強がりにしない。

 来年1月8日、グループ史上最大規模となるZepp Shinjukuでのワンマンライブが待つ。傷を消すのではなく、抱えたまま前へ出る。その姿は、部活帰りに東京ドームへ駆け込み、歓声に打たれて火がついた中学生の自分と、どこかで重なるのだろう。あの夜に胸へ灯った“ときめき”が、いまは「死ぬこと以外かすり傷」という生存の哲学に変わった。再び、光を放つ側へ。生きてさえいれば、傷は全部、次の一歩の燃料になる。

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