赤井英和 生死をさまよう大ケガでボクシング引退も…転機となる言葉をくれた超大物とは「お前の人生…」

[ 2025年11月8日 19:20 ]

赤井英和
Photo By スポニチ

 「浪速のロッキー」と親しまれた元プロボクサーで俳優の赤井英和(66)が7日放送のABEMA「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(後9・30)に出演。第2の人生のアドバイスをくれた恩人について語った。

 赤井は近大在学中にプロボクサーに転向。そこで当時の日本記録となるデビューから12戦連続KO勝利を達成した。だがその後世界戦で初黒星を喫すると、練習をサボって酒におぼれるように。それでも名トレーナーのエディ・タウンゼント氏と出会い、再起を期し世界前哨戦に挑むことになったが、直前に失踪した。

 金銭的な不満もありモチベーションが上がらず、引退するつもりだったが、後援会長に説得されて再び世界前哨戦を戦うことになった。

 だが試合の前には「もうボクシングなんかしたないで!」と思っていたとし、練習不足で「コンディションも、モチベーションも最悪」の状態で試合に挑んだ結果「ボコボコにされてKO負け」と7回KO負け。「意識不明で病院に搬送されました」と振り返った。

 病院では「急性硬膜下血腫、脳挫傷」と診断され大手術を受けた。生存率は20パーセント、術後生存率は50パーセントだった。手術後、医師からは「手術は成功しましたが、もうボクシングはできません」と宣告されたという。

 25歳で引退し「将来の事を考えることがないような、空白みたいな日が続いてました」と赤井。そんな中、ある人物の言葉で、人生の第2のゴングが鳴ることに。

 その人物とは、浪速高校の先輩にあたる落語家の笑福亭鶴瓶だった。あいさつに訪れると「お前の人生おもろいから、まあヤンチャしてた子供が、ボクシングに出合って、オリンピック目指して、プロになって連続KOして。そやけれども事故した。そういう話を本に書いたらどうや」との言葉をかけられた。

 そうして本にしたのが自叙伝「どついたるねん」で、それを読んだ当時映画の助監督だった阪本順治氏から「この話、おもろいから映画にしよう。主役を赤井くん、君がしなさい」とのオファーがあったとした。

 「そこから監督がスタッフやらプロデューサーやらいろんな人を集めて」完成したのが映画「どついたるねん」で、赤井にとっては芸能界デビュー作となった。

 「映画の仕事なんかしたことないし、何もなかった時やから、何でもさせていただきます言うてお願いしたんですけれども」と懐かしんだ。

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「中居正広」特集記事

芸能の2025年11月8日のニュース