【売野雅勇 我が道11】29歳の夏 運命を変えた電話「作詞をしてみませんか?」

[ 2025年8月11日 07:00 ]

シャネルズが初リサイタルで「ランナウエイ」を熱唱

 1980年の元日。沢田研二が巨大なパラシュートを背負って歌い、お茶の間を驚かせたシングル「TOKIO」が発売されました。ザ・タイガース時代は「色つきの女でいてくれよ」、ソロでは75年にヒットした「時の過ぎゆくままに」などジュリーの曲は、阿久悠さんが詞を書くことが多かったけれど、日本中をざわつかせたこの曲の歌詞は、コピーライターの糸井重里さんが書いていました。

 その頃の僕は、2月に出したデビュー曲「ランナウェイ」がヒットしたシャネルズ(後のラッツ&スター)が所属するEPICソニー(現エピックレコードジャパン)で専任のコピーライターとして従事。彼らが5月に出す初アルバム「Mr.ブラック」の新聞広告用のコピーを考えていました。

 一般紙のテレビ欄の下スペースを全て使った大胆な広告。当時の音楽界で、そんな派手な宣伝をすることは異例だったので、頭をフル回転させました。

 レコードのA面は「ランナウェイ」などシャネルズのオリジナル曲。B面は洋楽のカバーで構成されていました。彼らの音楽はリズム・アンド・ブルースを基に50年代のアメリカで生まれたドゥーワップやブラックミュージックへの尊敬にあふれていました。浮かんだキャッチコピーが「メイクの下も、黒いアメリカ。」。太いゴシック書体と、顔を黒く塗った鈴木雅之さんらの写真を並べることも決まりました。これはメイクじゃなくて、魂もブラックですというメッセージでしたが、社内からは差別的に捉えられることを懸念した声が上がりました。それでも紙面にはそのまま掲載されデビュー盤は大ヒット。慌ただしい29歳の夏が終わる頃、受けた1本の電話は運命を変えるものでした。

 落ち着いた声の主は、シャネルズのレコードディレクターをしていた目黒育郎さん。新聞のコピーを見て僕の着眼点を面白いと思ってくれたのか「作詞をしてみませんか?」と思いもよらない提案がありました。

 文学、アート、映像など、ポップカルチャーが興隆し、新しい表現や価値観が生まれていった時代。糸井さんが歌詞を書いた「TOKIO」が旋風を起こしたことで、音楽業界が社会と密接な関わりを持つコピーライターに目を向けようとする流れが生まれつつありました。

 当時はそこまで考えていませんでしたが、僕は「やらせていただきます」と即答。作詞家・売野雅勇が誕生する瞬間でした。

 ◇売野 雅勇(うりの・まさお)1951年(昭26)2月22日生まれ、栃木県足利市出身の74歳。企業のコピーライターなどを経て、81年作詞家に。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などのヒット曲を生み出した。これまでに1500曲以上の歌詞を制作。2026年に活動45年の節目を迎える。

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