渋谷陽一さん 誤嚥性肺炎で死去、74歳 国内最大フェス「ロッキン」創設 23年に脳出血で入院

[ 2025年7月23日 04:30 ]

渋谷陽一さん
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 国内最大の野外音楽祭「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」の創設者で音楽評論家の渋谷陽一(しぶや・よういち)さんが14日未明、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。74歳。東京都出身。葬儀は近親者で行った。お別れの会は予定していない。

 渋谷さんは2023年11月に脳出血を発症し緊急入院。手術後は療養を続けながらリハビリに取り組んでいたが、今年に入り誤嚥性肺炎を併発。そのまま帰らぬ人となった。

 渋谷さんは高校時代から音楽誌への寄稿をはじめ、72年には洋楽ロックを批評する「ロッキング・オン」を創刊。ラジオDJとしても活動を始め、当時テレビなどでは紹介されることがほとんどなかった洋楽ロックを日本に広めた。

 時代背景や音楽の歴史にもひも付けた論評で知られた。特に、売れるために作られたロックを「産業ロック」と表現し「ロックがこれまでジタバタしながらも進んできた試行錯誤の歴史を全てご破算にしてしまう」と痛烈に批判した。

 大のレッド・ツェッペリン支持者で「ロック音楽の一つの到達点」と評価。78年から86年までDJを務めたNHK―FM「サウンドストリート」の最終回で最後に流した曲も同バンドの「アキレス最後の戦い」だった。

 86年には邦楽ロックを扱う「ロッキング・オン・ジャパン」を創刊し、00年からは茨城・国営ひたち海浜公園で「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」を開催。フェスの制作を「雑誌作りによく似たトータルな表現」という考えのもと、国内のトップアーティストを中心に集めて日本最大の野外フェスへと成長させた。

 関心分野は音楽にとどまらず、北野武監督や宮崎駿監督のインタビュー集も刊行。アニメやアイドルなどを扱うカルチャー誌「CUT」や総合誌「SIGHT」なども立ち上げた。

 議論をいとわないスタイルから、時にさまざまなアーティストと対立することもあった。それでも若い才能を発掘し背中を押すことで、日本の音楽シーンの発展に広く貢献した。

 渋谷 陽一(しぶや・よういち)1951年(昭26)6月9日生まれ、東京都出身。72年に「ロッキング・オン」を創刊し、同時期に創刊された「ニューミュージック・マガジン」の中村とうようさんとの論戦でも知られた。音楽フェスでは「COUNTDOWN JAPAN」「JAPAN JAM」などをプロデュース。97年から療養に入る23年まで、NHK―FM「ワールドロックナウ」のDJを務めた。

 ◇アキレス最後の戦い レッド・ツェッペリン7枚目のアルバム「プレゼンス」(1976年)のオープニングナンバー。10分20秒を何のてらいもなく疾走する、骨太なロックナンバーとなっている。これを渋谷さんは絶賛。「黒人のブルース音楽のコピーから始まったロックが、ようやく独自のスタイルを確立した」とまで言い切るほどの惚れ込みようだった。

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