渋谷陽一さんからロッキン創設の相談 「スポニチ君」で登場させてくれ、10代の頃の夢が現実に

[ 2025年7月23日 04:30 ]

音楽評論家の渋谷陽一さんが死去

渋谷陽一さん
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 【悼む】ネットなんてない70~80年代の音楽界はラジオと紙メディアの影響力が強かった。洋楽曲の一番の情報源はDJや音楽評論家。月~金曜日の帯番組「サウンドストリート」で渋谷さんは木、金曜日を担当した。他の曜日は佐野元春、坂本龍一さんら。2日間を任された渋谷さんは存在感があった。作品によっては酷評し、推す曲に外れが少ない。いつか、こんなふうに音楽と仕事で向き合いたいと憧れて同じ大学に進んだ。

 初対面は97年4月。U2の世界ツアー初日をラスベガスで一緒に取材した。こちらとは違い、飲酒も喫煙もしない。それでも会食での会話はラジオのようにテンポが良い。経営者であり大先輩なのに敬語で話しかけてくれる。話題はロックではなくビジネスについてばかり。スポーツ紙の業務やアイドル取材のノウハウにも興味を示し、こちらが質問攻めされた。以降、何かあると電話をくれた。

 「これってスポーツ紙だとスクープになります?」とロック・イン・ジャパン・フェスの創設を相談された。「ロッキング・オン」の記事に「スポニチ君」として登場させてくれた時は10代の頃の夢が一つかなった気がした。今は喪失感でいっぱいだ。「アキレス最後の戦い」を何度も聴こう。(編集局次長 山崎智彦)

 ◇アキレス最後の戦い レッド・ツェッペリン7枚目のアルバム「プレゼンス」(1976年)のオープニングナンバー。10分20秒を何のてらいもなく疾走する、骨太なロックナンバーとなっている。これを渋谷さんは絶賛。「黒人のブルース音楽のコピーから始まったロックが、ようやく独自のスタイルを確立した」とまで言い切るほどの惚れ込みようだった。

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