【細川たかし 我が道19】「北緯五十度」突然の盗作騒動 原告側と話し合いを重ね…

[ 2025年6月20日 07:00 ]

「北緯五十度」のジャケット
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 「心のこり」や「北酒場」の印象もあり、私は比較的軽めのノリのよい歌手のイメージでした。しかし、「望郷じょんから」を出したことで、次第にスケール感のある作品も増えました。中学生の頃に大好きだった、井沢八郎さんの「北海の満月」のように雄大な作品を1988年2月に出しました。今や、ステージでこの作品がなくては困る代表曲の一つになった「北緯五十度」です。

 ♪涙 黒髪…と歌い出しから、サイレンのような高音で張り上げる、私が大好きなパターンです。途中♪北緯五十度 カムチャッカ沖だ…という北海道出身者としては胸が躍るフレーズも出てきます。この数年前に尾形大作くんに「無錫旅情」というヒット曲を書いた作詞・作曲家の中山大三郎さんが作詞しました。作曲は望月吾郎さんという、当時はまだ新人に近い方でした。この頃は全てスタッフ任せだったので、制作過程は詳しく知りません。インパクトがある作品だったので、発売から半年ぐらいで35万枚ほど売り上げるヒット曲になりました。

 ところが突然「盗作騒動」が湧き起こります。発売から半年ほどたった9月、栃木県在住の「美松しげを」さんという作詞・作曲家が「自分が作った『栃木の巨星』という作品と出だしの9小節が同じだ」と宇都宮地裁に提訴したという報道が出たのです。後で聞くと、確かに「栃木の…」と似てはいました。

 美松さんは「栃木の…」を85年に作り、87年5月にプライベート盤としてレコーディング。カセットテープ200本を知人に配り、その年の10月にJASRAC(日本音楽著作権協会)に登録したそうです。一方、「北緯…」は86年春に望月さんが作り、この年7月の「日本作曲大賞」に応募。翌年10月にレコーディングされて、JASRACには88年2月に登録されました。

 確かに収録も登録も「栃木の…」の方が先ですが、望月さんが「北緯…」を作る前に200本しか世に出なかった「栃木の…」を聴くことは事実上、ほぼ不可能な話です。日本コロムビアと音楽出版社のJCMが双方の間に入って、何度か話し合いの場が設けられました。最後は私も同席して「すでにカラオケやのど自慢などで愛されている歌です。自分も大好きな作品を歌えなくなるのは寂しい。この歌を歌わせてください」と訴えました。すると美松さんは「そこまで細川さんを傷つけたことは申し訳ない」と言い、訴訟の取り下げに同意してくれたのです。さらに「この歌でぜひ賞を獲ってほしい」と激励までしてくれました。

 そんな想定外の出来事も、作品がヒットして話題になったからこその話です。実際に第7回メガロポリス歌謡祭演歌大賞、第14回日本演歌大賞グランプリを頂きました。NHK「紅白歌合戦」もこの年と、10年後にも再び「北緯…」を歌わせてもらい、まさに代表曲となりました。ヒットすることは、時としてそんなトラブルをも運んできました。

 ◇細川 たかし(ほそかわ・たかし)1950年(昭25)6月15日生まれ、北海道出身の75歳。札幌・ススキノのクラブ歌手時代にスカウトされ、75年4月に「心のこり」で日本コロムビアからデビュー、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。84年「浪花節だよ人生は」で同賞最優秀歌唱賞を受賞し「レコード大賞3冠」を達成。ほかに「望郷じょんから」など。

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