【細川たかし 我が道6】工場辞めてバンドボーイに 初めてのストリップに心臓バクバク

[ 2025年6月6日 07:00 ]

就職した自動車整備工場は1年余りで辞めました
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 「類は友を呼ぶ」じゃないですが、札幌に出て就職した自動車整備工場「浜野自動車」に音楽好きが何人かいました。中学時代にザ・ベンチャーズのコピーバンドを組んだように、工場の仲間ともバンドを組みました。今度は自分が稼いだ金でドラムセットを買いました。1カ月の給料以上、1万5000円ぐらいしました。当然、月賦です。

 塗装工の仕事は終わるのが早いのです。夕方5時半には仕事が終わり、夕飯を食べてしまうと、もうすることがありません。住み込んでいた大部屋で、ドンチャンと演奏を始めます。階下は工場です。ガッチャンガッチャンという騒音は下の方が圧倒的に大きいので、私たちのド下手な演奏にクレームが来ることはありません。しかし、ある日「三浦さん」という小柄な30歳ぐらいの男性が寮の演奏場に上がってきたのです。

 三浦さんはススキノのクラブで演奏しているバンドのギタリストでした。彼が出勤前に銭湯に行く際、工場の前を通っていて、嫌でも下手な演奏を耳にしていました。あまりの演奏の下手さ加減に業を煮やしたそうです。それからたびたびギターを教えてくれるようになり「君、歌うの?じゃあ、一度遊びにおいでよ」と三浦さんが働いていたクラブ「マーガレット」に誘ってくれたのです。札幌に出てきて半年が過ぎた、秋ごろでした。

 「マーガレット」は客が80人ぐらい入る中堅クラスの店です。5人編成のバンドがモダンジャズを演奏していました。三浦さんの口利きで、たまに歌わせてもらうようになりました。プロのバンドの演奏で歌うのは気分が良かったなあ。さらに「マーガレット」の系列店で「女王蜂」というキャバレーがありました。こちらはキャパが250人ぐらいの大きな店で、12人ほどのフルバンドが演奏していました。両方の店のオーナーだった女性の目にかなったのでしょう。「ちゃんとした靴を履きなさい」と8000円ぐらいする、ド派手な革靴をプレゼントされたことを覚えています。また「女王蜂」で初めてストリップショーを見ました。演奏の合間にストリップショーがあったのです。司会者が「ゴールデンショー!」と叫んで、何が始まるのかと思ったら…。まだ16歳ぐらいでしたから、心臓がバクバクしましたねえ。

 最初は興味本位で夜の世界に顔を出していましたが、そもそも長居するつもりで自動車工場に勤めたわけではありません。クラブやキャバレーでバンドボーイをしながら歌ったり、ドラムを叩かせてもらう方が楽しいに決まっています。真狩村から札幌に出てきて1年が過ぎた頃、会社の上司に「昼も夜も働いていたら、そのうち体を壊すぞ」と諭されました。これを機に、きっぱりと工場を辞めました。月給1万円でバンドボーイ兼歌手の生活が始まりました。確か家賃が3500円でした。17歳になったばかりの頃。工場を辞めたことは、当然両親に内緒でした。

 ◇細川 たかし(ほそかわ・たかし)1950年(昭25)6月15日生まれ、北海道出身の74歳。札幌・ススキノのクラブ歌手時代にスカウトされ、75年4月に「心のこり」で日本コロムビアからデビュー、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。84年「浪花節だよ人生は」で同賞最優秀歌唱賞を受賞し「レコード大賞3冠」を達成。ほかに「望郷じょんから」など。

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