いしだあゆみさん代表曲 当初は「ブルー・ライト・カワサキ」だった 作詞家も追悼「歌下手が絵になる」

[ 2025年3月18日 05:20 ]

「ブルー・ライト・ヨコハマ」などで知られる歌手・いしだあゆみさん死去

ブルー・ライト・ヨコハマのジャケット

 後輩の作曲家、故筒美京平さんと大ヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」を作詞した橋本淳氏(85)は「歌は下手だったけど、下手が絵になる珍しい人だった」と、独特の表現でいしださんをしのんだ。

 「ブルー…」が作られたのは1968年秋。この前年にいしださんが所属していたレコード会社・日本コロムビア(当時)から「1年間、3作作ってほしい」と依頼された。6月に出した「太陽は泣いている」はそこそこヒットしたが、次の「ふたりだけの城」は「京平くんが“ボサノバがはやっているから”と作ったが、500枚しか売れなかった」と大失敗。勝負作の3作目のレコーディング前日、「麻雀友達が住んでいた横浜に遊びに行って海を眺めていた」という。

 「当時の横浜の海は灯(あか)りがなく真っ暗だった。遠くに川崎の工業地帯の灯りが青く光っていたので、そんな詞を書いた。フランス・カンヌの夜景に重ね合わせたという。公衆電話に10円玉を積んで、スタジオにいる京平くんに電話して伝えたら“ブルー・ライト・カワサキよりもヨコハマの方が良くないですか?”と言われて変えた」と裏話を披露。

 おおらかな時代で、ライバル会社ながら仲が良かった東芝レコードの草野浩二氏をスタジオに呼んでいて、コロムビアの泉明良ディレクターの前で、草野氏がいしださんに「日本の小唄って知ってる?小唄のように歌うんだよ」と歌唱指導をしたという。会議で全国の営業所が何枚も注文を出す中「神奈川の営業所長が“片仮名のヨコハマなんて耐えられない。一枚も要らない”と言うから頭に来て、マスターテープを投げつけたんだ」と、実は再度レコーディングし直したものがレコードになった。

 「(12月25日に発売された)“ブルー…”は、おかげで飛ぶように売れた。彼女の温かい人柄が声に表れていた。歌が進歩しなくて厳しく当たったので、スタジオですぐ泣いていたことを思い出す。京平くんもいしださんも(亡くなる)順番が違うよ」と悼んでいた。

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