服部幸應さん秘話 「料理の鉄人」演出家が涙で回想 胸ポケットに忍ばせていたもの「どん欲な努力家」

[ 2024年10月6日 23:12 ]

服部幸應さん
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 フジテレビ系「料理の鉄人」の演出を務めた演出家の田中経一氏が、6日放送の同局系「Mr.サンデー×すぽると!超合体SP」(後10・00)に出演し、4日に急性心不全のため78歳で死去した料理研究家の服部幸應さんのエピソードを語った。

 90年代に料理バラエティーとして一時代を築いた同番組に、服部さんは解説、審査員として出演。番組の盛り上がりに大きく貢献した。

 番組以外でも服部さんと公私ともに親交が深かった田中氏は、服部さんの料理に対する姿勢に驚かされたという。「直前まで(対決用の)テーマ食材がありますから、それの勉強をされていましたよね。普通だったら偉そうに構えていればいいと思うんですけど、情報を集めてというのを繰り返し、繰り返しやっていた」と、目に涙をためながら振り返った。

 服部さんといえば、立襟の背広服「マオカラー」がトレードマーク。田中氏は「収録中にマオカラーの胸ポケットのところにマイスプーンを入れていて、調理が終わると必ずつまみ食いに先生が行って。おいしいものを見つけると、“これは勉強になるから絶対、食べた方がいい”って、よく持って来て下さっていましたね」と明かし、「好奇心はすごくおう盛だし、いつも勉強熱心だし、本当にどん欲な努力家だったと思います」と評した。

 服部さんは軽妙で穏やかな語り口で、料理人たちから生み出される料理を豊富な知識で解説していた。田中氏は「時折、間違えるんですよ、予想を」と意外な告白。「たぶん、分かっているんだけど、わざと間違えているんだと思っていて」と推測した。「そのへんが服部先生の軽くておもしろいところで、やたらとプライドが高い人ではない。ちゃんと相手の目線で全部話す。だから好かれたっていうことだと思います」と、誰からも好かれた人柄の秘密を分析した。

 服部さんは同番組に、挑戦者として出たことが2度あった。スタッフ側からの提案だったという。「冗談で“次は挑戦者でいきましょうよ”と言って。“無理無理”と言っていたんですけど、“精いっぱい番組をおもしろくしよう”と言ってくれていたので、そのためには自分は何でもやる。ずっとハングリーだし」と明かした。

 服部さんは4日、自身が理事長を務める東京・千駄ケ谷の服部栄養専門学校で倒れ、救急搬送先の病院で亡くなった。

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