倉本聰氏 弔辞要旨「あなたのおかげで今ここにいます」

[ 2012年10月23日 06:00 ]

大滝秀治さんお別れの会

(10月22日 東京・青山葬儀所)
 大滝さん。何十年ものあなたとの付き合いは、さまざまなことを僕に学ばせてくれました。あなたのおかげで今ここにいます。1つの番組が始まる時、初の顔合わせ、本読みの席にあなたが持つ僕が書いた台本は、無数の書き込みで、すでにヨレヨレ、ボロボロでした。若い頃、宇野重吉さんに「壊れたハーモニカのようだ」と酷評されたというあなたの声。しかし、あなたはそのハーモニカでいくつもの素敵なブルースを僕らのために奏でてくださった。

 北海道放送の「うちのホンカン」で、初めての主役を演じてくださった時、「僕が主役、僕の奥さんが八千草薫さん」と子どものように、はしゃいでいたあなた。ロケ隊が入る何日も前から現地に入り、警察官の制服を強引に借用し、子どもたちの通学の交通誘導をなさっていたあなた。旅館の一室で虚空を凝視し、僕がすぐそばで「大滝さん」といくら呼んでも全く気づかず、「ホンカンさん」と役名で呼んだら突如跳び上がってハッと警官の敬礼をされた。

 役作りに入るとあなたのスイッチは突如、世間の常識はどこかにすっ飛び、徹底的に役に集中し、他人の迷惑は考えられなくなり、顔面に血が上り、血管が怒張し、今にも切れてしまうのではないかと周りの僕らをハラハラさせました。

 緒形拳さんの最後の作品になった「風のガーデン」では、あなたががんの末期患者の役で、終末医療の医者が拳さん、そのロケの帰り道、拳さんが僕に目を輝かせて言ったものです。「大滝さんに凄いこと言われた。健康と元気は別物ですよ」って。拳さんはその時、すでにがんを告知され、クランクアップ直後にそっちに旅立たれました。あなたはそのことを知らなかったはずなのに何かを感じておられたのでしょうか。

 あなたとは居酒屋でよく飲みました。あなたの話題は常に芝居でした。それも一方的にあなたがしゃべり、こっちに口を挟む隙をくれず、しゃべり終わると「じゃ」とひと言、そそくさと改札口に消えていった。あなたの訃報に突然、接した時、「じゃ」とひと言、振り向きもせず、せかせか改札口に消えていくあなたの姿を見たような気がしました。

 このまま僕は富良野に帰ります。帰ってあっちで酒を飲みます。あなたの杯にも酒を満たします。つくるということは思うということ、つくるということは狂うということ、つくるということは生きるということ。さよなら、大滝さん。あっちで、天国の人々の衣装をいくら気に入っても、追いはぎなさらないように。 2012年秋、倉本聰

続きを表示

2012年10月23日のニュース