獅童 親父の供養は「全力で芝居」

[ 2008年10月17日 06:00 ]

故小川三喜雄氏葬儀式場で会見する中村獅童

 歌舞伎俳優の中村獅童(36)の父で、胃がんのため11日に79歳で死去した元映画プロデューサーの小川三喜雄(おがわ・みきお)さんの通夜が16日、東京都港区南青山の梅窓院で営まれた。喪主の獅童は、大阪で1カ月公演中のためみとることができなかったことについて「親の死に目に立ち会えない役者でよかった。僕は芝居を全力でやるだけだから」と思いを明かした。そして、父が最初に名乗った「中村獅童」の名を「もっともっと大きくしたい」と誓った。

 獅童は通夜が始まる前、取材に応じた。
 15日夜に舞台「黒部の太陽」の公演を務め上げ、新幹線で深夜に帰京。無言の父と対面し「すごく穏やかな顔だった。小さい頃はおっかなくてね、実直であがり性で。うなぎと天ぷらが好きで電話でメシ食い行こうって言っていた」と明るい人柄と思い出を振り返った。
 最後に会ったのは先月末。舞台稽古のため東京の自宅から大阪へ向かう前、病床の父に「行ってくるよ」と言うと「頑張ってこい」の一言が返ってきた。今年1月の浅草歌舞伎が最後の観劇になったという。「いつも一番最初に大きな拍手をするんです。こっちが恥ずかしくなるくらい」と話した。
 胃がんと分かったのは今年1月。今年になって医師から「もって3カ月」と家族には伝えられていただけに、舞台に缶詰めになる獅童は「これが親父との最後かも」と覚悟していたという。
 小さい頃に歌舞伎俳優を廃業した三喜雄さんにとって、獅童に歌舞伎界へのレールを敷いてあげられなかったことは無念だった。「オレは何の手助けもしてやれない」と言った上で「それでもやるのなら精いっぱいやれ」と役者としての覚悟だけを説いた。あとは放任主義。歌舞伎界では限界があったためどん欲に映画界に進出して幅広い活躍をする獅童の奔放な魅力は、挫折があった三喜雄さんの人生と教えがあったからこそだろう。
 11日に亡くなってからも公演は休まなかった。「僕は芝居以外何もできない男なんで。最期に立ち会えなかったけど、親の死に目に立ち会えなくてよかった。大きな舞台に立てていることは幸せです」。会って言葉を交わすより、父が成せなかった夢を追い続けている姿こそ喜んでくれると信じている。
 「黒部の太陽」は三喜雄さんも好きだった故石原裕次郎さんが映画化した作品。17日の葬儀は母の陽子さん(68)に託し、昼から舞台に立つ。「親父は裕次郎さんのCDを聴きながら“楽日には見に行けるかなあ”と楽しみにしていた。芝居でお返しするしかない」と誓った。

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2008年10月17日のニュース