森進一 恩師の訃報に「とても動揺」

[ 2008年4月8日 06:00 ]

森進一の自宅前に集まった報道陣がインターフォンを鳴らすも無言だった

 川内康範氏の死去に“おふくろさん騒動”で対立した歌手森進一(60)は7日夜、マスコミ各社にファクスで「直接お目に掛かることがかなわなくなった。寂しく残念でなりません」と追悼のコメントを出した。昨年2月に騒動が起きてから1年余。まったく歩み寄れないまま恩師が他界した結末は、あまりに重く森にのしかかる。

 恩師の訃報が入ったのはこの日昼ごろ。所属するビクターのスタッフから連絡があった。
 東京都渋谷区の自宅にいた森は「とても動揺していた」(関係者)という。「どうしようか」と漏らし、恩師の元へ行きたいが「行ってもいいのだろうか。行ってはいけないのか」と相当悩んでいたという。
 それから10時間近くたった午後10時、森はマスコミ各社にコメントを送付。「大変驚いています」の書き出しで“おふくろさん騒動”についてもあらためて触れた。
 「私の思いの至らなかった部分もあり、直接お目に掛かって私の気持ちをお伝えしたいと先生にお願いしてまいりましたが、それもかなわないことになってしまいました。寂しく残念でなりません。いまはただ、心からご冥福をお祈りいたします」
 8日、NHK「歌謡コンサート」に生出演するため、八戸市内で営まれる密葬には行くことができない。そのため、番組冒頭で恩師への思いを語る意向。早ければ翌9日に八戸へ向かう。
 2人の関係は古く、68年に「花と蝶」を作詞したのがきっかけ。幼い頃から苦労してきた森の境遇に心を痛め、家族ぐるみで付き合った。73年に森の母親が亡くなった時も真っ先に葬儀に駆けつけ、読経も担当。79年に渡辺プロから独立した際にもめた時も、NHK紅白歌合戦に出場できるようバックアップした。
 川内氏の作詞家としての信念は「歌は人の志を運ぶ舟」。おふくろさん騒動のボッ発もこの思いからで、森への憎しみではなく「人の恩を忘れた者にはふさわしくない」との理由で自作曲すべての歌唱禁止を通告した。
 恩師の死で歌えるようになるのか、歌うのならどのように解決していくのか。川内氏のいない今、すべては森自身に掛かっている。

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