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吉野正人 3つのターニングポイント振り返る そして引退へ「とにかく楽しく見てほしい」

[ 2021年6月28日 10:00 ]

スピードスター最後の花道(下)

8月1日の神戸ワールド記念ホール大会で引退が決まっている吉野正人
Photo By スポニチ

 8月1日、DRAGONGATE神戸ワールド記念ホール大会で現役を引退する吉野正人(40)がスポニチアネックスのインタビューに応じた。引退が間近に迫った現在の心境を語り、そして今までのレスラーキャリアを振り返った。2回にわたり連載する今回は2回目。

 ――今までのキャリアを振り返ってみてどんなキャリアだったと思いますか?
 「“20年”ってひと言で言えば長く感じますけど、20年もやった感じがしないというかそれだけ一瞬で終わってしまった感じですね」

 ――20年のキャリアは凄く早く感じたんですね。
 「はい。振り返ってみて1つ1つ思い出せば凄くいろんなことがあったと思います。だけどメキシコでデビューしてその当時を振り返ってみてもその出来事から20年がたっているって感じがしないんですよね」

 ――20年のキャリアの中でターニングポイントだと思った時はいつでしたか?
 「イタリア人のターザンになったことと本名の吉野正人に戻した時と2010年に団体の最高峰のベルトであるオープン・ザ・ドリームゲートのベルトを巻けたことですね」

 ――1つずつ詳しく聞いていきたいんですが、イタリア人のターザンキャラになった頃を振り返ってもらえますか?
 「自分はそれまでずっと野球をやっていたので、短髪で生活をしていたんですけど、当時ウルティモ・ドラゴン校長に『髪を伸ばせ』と言われて、人生で初めて髪を伸ばしてロン毛にしましたね。今ではウルティモ校長に笑い話をしたりできますけど、当時は『NO』を言える立場ではなかったです。ウルティモ校長がいるだけでみんな固まっている状況だったので『髪の毛は伸ばしたくないです』とは言えなくて、ウルティモ校長に言われたことは『はい』としか言えなかったので、とりあえずウルティモ校長に身を委ねてみようと思っていました」

 ――ウルティモ校長に「髪を伸ばせ」と言われた時は素直にどう思いましたか?
 「正直、『それはキツいな』と思いましたね。そのあとのターザンの雄叫びの練習がキツくてこの時に初めてプロレスを辞めようと思いました(苦笑)」

 ――プロレスを辞めようとまで思ったんですね。
 「今となれば笑い話にできますけど、当時は自分がレスラーとしてどうなっていくかわからなかったです。そして自分のポジションの確立もしてなかったですし、当時は生き残っていくのに毎日必死でした」

 ――2005年にYOSSINOから本名の吉野正人に戻した頃を振り返ってみて当時はどうでしたか?
 「ミラノコレクションA.T.達とイタリアン・コネクションというユニットをやっていて、それなりに活躍していたと思うんですけど、どっかでもう一つ上の段階にいくにはもう一つ大きな変化が必要だなと思っていました」

 ――大きな変化が必要と考えていたんですね。
 「それまでターザンでロン毛のイメージでやっていたので、それを1回変えないといけないかなというのがありました。あとこのままミラノコレクションA.T.と一緒にやっていたら、彼の下のポジションになっていたと思うので若さと勢いで髪の毛を切って本名に戻しました」

 ――本名に戻す時に迷いなどはなかったんですか?
 「当時は若さと勢いで行き当たりばったりではないですけど、当時はとりあえず思いついたことは行動しようと思っていました。『これで失敗したら…』みたいな後ろ向きなことを考えても進まないからやるだけやってダメならしょうがないし、自分の責任です。やらずに後悔するよりはやって後悔した方がいいなと思っていました」

 ――2010年に初めて団体の最高峰のベルトであるオープン・ザ・ドリームゲート王者になりました。当時を振り返ってみてどうでしたか?
 「それまではオープン・ザ・ブレイブゲートなど中軽量級のベルトを巻いてきましたけど、2010年にドリームゲート王者になって初めて無差別級のベルトを巻いたのは大きかったですね。初めてシングル王者になったのが2003年のNWA世界ウェルター級王者です。その後に会社名がDRAGONGATEに変わって、当時自分がオープン・ザ・ブレイブゲートを創設して、中軽量級で戦っていた中で本当の意味で団体内のトップを獲るためにはドリームゲートが必要という思いが芽生えてきて、そこから無差別のシングルに挑戦しようと思いました」

 ――当時の団体内では“中軽量級=吉野正人”みたいなイメージも確立されていました。
 「ちょうどデビュー10周年で30歳になった時で、中軽量級でやっていた中で団体の最高峰であるベルトを奪取して団体のトップに立てたのは大きかったですね」

 ――引退が決まってから後輩レスラーたちに自身の技を継承していますが、なぜ継承させようと思ったんですか?
 「オリジナル技が多いので、自分自身が引退したからってその技が消えていくのはもったいないと思っていました。20年のキャリアで自分が考えて作った技をプロレス界に形として残すことが出来るかなと思って継承しています」

 ――後輩のレスラーから吉野選手の技を継承させてほしいという要望などはなかったんですか?
 「キャリアと年齢が離れすぎていて『継承させてほしい』というのは言いづらいと思うんですよね。自分の年齢の半分ぐらいの若い選手たちが自分の技を継承したいと思っていたとしても言いに来られないと思うので、こっちから声をかけてそれが彼たちのファイトスタイルにプラスになるのであればそれはそれでうれしいです」

 ――ちなみに普段は若手の選手たちとコミュニケーションは取ったりするんですか?
 「最近はあまり会場に行けてなかったので、あまり話し込んでコミュニケーションを取るというのはないですね。でも思いついたことは言ったり、声をかけるようにはしています」

 ――自分自身が引退して以降のDRAGONGATEは、どんな団体になってほしいと思っていますか?
 「今は若い選手が増えていて、SBKENToやヒップホップ菊田そして箕浦康太など良い選手もいます。自分たちが闘龍門を立ち上げて、T2Pが出来てDRAGONGATEになって歴史をつくってきたように彼らもただ引き継いでやるのではなく、自分たちのやり方で新しいDRAGONGATEをつくっていってほしいですね」

 ――レスラーとして最後となる都市や会場が増えてきていますが、最後の都市や会場で感慨深くなったりしましたか?
 「例えば札幌だと今までは札幌テイセンホールで試合をしていたんですけど、そこが無くなって新しい会場になっています。博多だと今までは歴史を作ってきた博多スターレーンでやっていましたけど、今はアクロス福岡になったりしていて、最後の都市とは言っても会場が違ったりするので、なかなかフラッシュバックするというのは難しかったりします。歴史を作ってきた会場が今でもあればまた思い入れがまた違うとは思います。でもその土地ごとにお客さんやファンの方もいらっしゃるので、会場に来てくれた方々が最後に楽しんでくれていればいいなと思って試合はしていますね」

 ――引退までの残りわずかの期間でどんな姿をファンの方々に見せたいですか?
 「今年の年明けから十分すぎるぐらいファンの方々に心配をかけてしまい、残り試合数もわずかなので、リングに上がるからには楽しく見てもらいたいという気持ちが一番ですね」

 ――とにかくファンの人には楽しく見てもらいたいんですね。
 「そうですね。世の中もコロナ禍の状況が続いていて、なかなか娯楽の方に力を入れるというのは難しいじゃないですか。今までライブで見ることが当たり前になっていたことが、それが無観客試合になったり、最近のはやりだとYoutube配信などに時代が流れています。こちら側も『会場に来てください』と声を大にして言いづらい部分はあるんですけど、引退までに皆さんのお住まいの近くに行った時はライブで見てほしいというのはありますよね。スポーツ観戦でも音楽ライブでも会場でライブ観戦するのが一番じゃないですか。それが娯楽の良さだと思います」

 ――最後にファンの方々やこのインタビューを読んでくれている方々へメッセージをお願いします。
 「引退まで残りわずかとなりました。闘龍門の時から長く見てくれているファンの人もいると思いますし、最近DRAGONGATEを見始めて知ってくれた人もいると思います。逆にDRAGONGATEも知らなくて吉野正人も知らないという人もいると思うんですけど、引退まで残りわずかというところでこの記事を偶然的に目にする機会があったというのは何かの縁だと思います。映像や雑誌や新聞などでもいいので、1度で良いのでこういうプロレスラーが居て、まもなく引退を控えているという存在を知ってもらうだけでもありがたいと思います。長く応援してくれている人たちには、21年間の思いを込めて笑顔にしたいですね。ご時世的にマスクはしていますけど、マスクの中は笑っているような空気感を作っていきたいですね」(終わり)

 《吉野正人の引退ロード》吉野は7月9日の後楽園ホール大会が東京では最後の大会となる。そしてDRAGONGATEは7月31日、8月1日の2日連続で神戸ワールド記念ホール大会を開催する。初日の7月31日は例年通り「KOBEプロレスフェスティバル2021」としてメインイベントではオープン・ザ・ドリームゲート選手権がマッチメイクされている。王者シュン・スカイウォーカーにKzyが挑戦する。2日目の8月1日は「SPEED STAR FINAL」として吉野正人引退試合が予定されている。

 ◆吉野正人(よしの・まさと)1980年(昭55)7月17日生まれ、大阪府出身の40歳。闘龍門7期生として入門。2000年9月、メキシコでの伊藤透(現・大鷲透)戦でプロレスラーデビュー。団体内では中軽量級戦線の絶対王者として活躍。団体外でも03年にウルティモ・ドラゴンとのタッグで第1回ディファカップを優勝し、07年には土井成樹とのタッグでプロレスリング・ノアのGHCジュニアタッグ王者になった。2010年には団体最高峰のオープン・ドリームゲートを初奪取し、計4度戴冠した。団体内のベルトは全て戴冠し、「スピードスター」のキャッチコピーで長い間、団体のトップをけん引した。2019年12月に現役引退を発表し、21年8月1日の神戸ワールド記念ホール大会「SPEED STAR FINAL」でプロレスラーを引退する。

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