【駒田徳広 我が道17】王監督最終年に規定3割到達 感謝しかない

[ 2026年5月18日 07:00 ]

私が怒った一塁の判定を巡り、王監督(左)が講義をしてくれた
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 ウォーレン・クロマティが左手親指を骨折し、吉村禎章は左膝じん帯断裂。東京ドームが開場した1988年(昭63)は故障者が続出した。ケガした人には申し訳ないが、その分出番は増えた。

 それまで守るのは一塁かライトだったが、6月下旬からセンターが多くなった。優勝が絶望的になった終盤。9月20日の中日戦(ナゴヤ球場)だった。

 高校時代にスライディングで痛めた左膝に水がたまっている状態。加えて2日前の試合で右足に自打球を当ててしまった。まともに走れない。それでも王貞治監督に「いけるか?」と聞かれたら「ノー」とは言えない。規定打席に達するかどうかぎりぎりという事情もあった。

 5回、無理して守りに就いてやらかしてしまった。川又米利さんのフライを捕り損ね、彦野利勝の中前打を後逸した。記録はいずれも三塁打になったが、明らかにミス。ベンチから藤本健治が走ってきた。イニング中の交代だ。

 すごすご戻ったら、怒った王監督がマネジャーの倉田誠さんに「荷物をまとめて帰らせろ」と話している。ベンチ裏でしょんぼりしていたら倉田さんが来て「コマ、どうする?」と言う。監督が「帰らせろ」と言ってるのだから従うしかない。「いたら目障りになるし、帰りますよ」と言った直後だった。あるコーチが「チェッ」と舌打ちして通り過ぎていった。それにブチ切れた。バットを叩きつけて出口に向かい、大騒ぎして球場を出た。

 試合が終わって宿舎へ帰ってきた王監督に「罰金20万円持ってこい」と言われたが、次の日もその次の日も代打で使ってくれた。規定打席のことを気にしてくださっていたのだ。

 痛みが和らいだ最後6試合は先発出場。最終的に404打席で規定打席403を1つ上回った。しかもこの6試合で21打数12安打の固め打ち。打率を・291から・307まで上げ、初の規定打席到達に初の3割という花を添えた。

 だが、悲しいことに公式戦を3試合残した時点で王監督の退任が決定。背番号1は子供の頃から憧れ続けてきた人生の一部だった。大きな夢が終わったように感じた。

 シーズン最終戦は10月4日の大洋(現DeNA)戦(横浜)。一塁でハーフバウンドの送球をミットに収め、直後にバランスを失って転んだ。一塁塁審は「ノーベース」と叫んでセーフの判定。冗談じゃない。足はついていた。ボールを地面に叩きつけた。

 すると王監督がジャンパーを脱いで「OH」のユニホームで抗議に来てくれた。最後の背番号1。あるマスコミ関係者に「お前が演出したんじゃないか」と言われたが、そんなに頭はよくない。ただ、うれしかった。

 荒川道場をやめたり問題ばかり起こしてきたのに、トレードに出すことなく巨人に残してもらい、規定打席に達するよう配慮していただいた。王さんには感謝しかない。本当に大感謝です。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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