【駒田徳広 我が道13】一本足打法挑戦で「考える人」 王さんと同じ日本刀使った練習

[ 2026年5月14日 07:00 ]

荒川さんはグアムキャンプまで教えに来てくださった
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 代打で結果が出せず苦しんでいた1984年(昭59)5月初旬、後楽園球場での試合後、山崎弘美マネジャーの車で西神田インターの手前まで行き、そこで別の車に乗り換えた。王貞治監督のベンツだ。

 向かった先は渋谷区代々木の参宮橋。「世界の王」の一本足打法の師匠、荒川博さんの自宅だ。一選手が監督の車に乗ったら変な臆測や誤解を招きかねない。そこでマネジャーのワンクッションを入れたのだ。

 「こいつをひとつ、よろしくお願いします」

 王さんが荒川さんに頭を下げてくれる姿を見て、凄く緊張した。そもそも荒川道場入りを勧められた時、断れる雰囲気も断る理由もなかった。壁にぶち当たった現状をなんとかしたい。その一心だった。

 道場に行ってすぐは足を上げずに打っていたが、そのうち荒川さんに「やっぱり足を上げてやれ。やってみよう」と言われて、一本足打法に挑戦することになった。

 直後の5月11日、ヤクルト戦(神宮)で荒木大輔から右翼席へホームラン。「よし、これでいける」と思ったが、その手応えは続かなかった。

 翌12日と13日はいずれも阪神戦(甲子園)で負け試合の9回2死から代打で出て二ゴロと三振。2試合連続で最後のバッターになった。

 後楽園と神宮で試合がある時は毎試合後、荒川さんの家に通った。日本刀を使って、短冊に切った新聞紙を切る。王さんがやられたのと同じ練習をした。いつもは午前1時くらいまで。いい感覚をつかめない時は明け方になることもあった。

 横浜で試合の時は球場入りする前に多摩川で練習。やることはやったが、結果が付いてこない。悩んで暗い顔をしていると「ロダン」「考える人」と言われた。「あいつ、ノイローゼじゃねえか」と言いふらす先輩もいた。

 この年の先発出場はわずか3試合。ほとんど代打で79試合に出場し、打率・238、2本塁打、11打点と前年より大きく成績を落とした。普通なら2軍に落とされていて当然。よく1軍にずっと置いてくれたと思う。期待はしてくださったんだな。今になってそう思う。

 オフには荒川さんの勧めで新宿にある合気道の植芝道場に通った。明けて85年、荒川さんはグアムキャンプにも来て指導してくださった。だが、その期待に応えることはできなかった。

 シーズン4打席目の初安打は4月18日の阪神戦(甲子園)。槙原寛己がバックスクリーン3連発を食らった翌日の試合だ。ワンバウンドで三塁の掛布雅之さんの頭を越えるヒット。決していい当たりじゃない。ちっともうれしくなかった。

 試合後、芦屋市の宿舎、竹園旅館に戻ってコーチの須藤豊さんと末次利光さんに呼ばれた。

 ◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。

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