【内田雅也の追球】鉄人「連覇してこそ」

[ 2026年4月24日 08:00 ]

1979年日本シリーズ第7戦、日本一を決め、江夏(右)のもとけ駆け寄る衣笠(左)ら広島ナイン
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 横浜には雨が似合う気がする。宿泊先のホテルを出て、伊勢佐木町の書店や喫茶店を回っていると、雨天中止の連絡があった。

 衣笠祥雄さんにお会いしたのも雨の横浜だった。パソコンに保存してあるメールを見返すと、ちょうど今ごろ、2014年4月24日とある。

 球場内食堂で「最近のタイガースはどう?」から、昔のスポニチ広島担当の先輩の話、昔の大リーグの話……と楽しかった。すると翌日、何と衣笠さんから「古い話。懐かしく思いだされます」とメールをいただいたのだった。2215試合連続出場の日本プロ野球記録の「鉄人」はメールアドレスにも「tetsujin」とあった。

 この日4月23日は衣笠さんの命日だった。2018年、大腸がんのため、71歳で逝った。

 訃報が伝わったのが翌24日。あの日も雨だった。阪神に同道して松山にいた。「親友」江夏豊さんは阪神戦のテレビ解説で松山入りしたが、雨天中止ですぐ東京に引き返した。空港で江夏さんをつかまえた。「青春時代をともに過ごした友人だった。サチはいま、寂しいだろうがオレもすぐそっちに行く」。通夜で語りかけた。

 『江夏の21球』を思った。1979(昭和54)年日本シリーズ最終第7戦。あの日の大阪球場もまた雨が降っていた。
 1点リードの9回裏、無死満塁をしのぎ、広島は初の日本一となる。この時、ブルペンで投手が準備を始め、江夏さんが心を乱した。察知した衣笠さんが駆け寄り「おまえしかいない」「もしものことがあれば、オレも辞めてやる」と声をかけ、心を静めた。山際淳司氏が雑誌『Number』創刊号で活写した。

 『――21球』は<江夏はベンチに戻り、うずくまって涙を流したという>で終わっている。
 衣笠さんによると、この後、江夏さんは「サチ、来年から何を(目標に)すればええんや?」とつぶやいたそうだ。江夏さんは阪神時代を含め、初めて経験する優勝、日本一に達成感があった。

 衣笠さんは答えた。「おまえな、1年は誰でも勝てる。もう1年勝つことだよ」。江夏さんは奮起し、翌80年も勝って、初の連覇を達成した。

 球団初の連覇に挑む阪神にも伝えたい。いや、もう、わかっていよう。今年勝ってこそ、本物なのだ。雨の横浜で、鉄人の言葉がよみがえった。 (編集委員)

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