【馬淵史郎 我が道25】高嶋さんに学んだ勝負への執念…今も続く智弁和歌山との定期戦

[ 2026年3月26日 07:00 ]

智弁和歌山を率いた高嶋監督とは深い親交がある
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 智弁和歌山の高嶋仁さん(現智弁学園、智弁和歌山名誉監督)も勝負に対する執念が凄い人だった。そのスタイルは剣に例えたら、薩摩の示現流。相手が刀で止めようとしても、刀ごと頭から斬ってしまうような迫力があった。加えて、ノックもうまい。智弁和歌山のシートノックは、いつも欠かさずに見ていた。

 星稜(石川)戦での「松井5敬遠」の後、なかなか高知で勝ち上がることができなかった時期に、練習試合をさせていただいたのが交流の始まりだった。確か94年(平6)。高知の土佐と試合をするというのを聞いて「明徳義塾ともお願いします」と申し込んだ。以来、定期戦を毎年させていただいている。時期は夏の地方大会が始まる前の6月。高嶋さんも俺も夏に向けて、チームを徹底的に追い込む。その成果を試すのが智弁和歌山戦だった。結果で夏のメンバーが決まるから、選手も必死で臨む試合。中谷仁監督になっても、定期戦は続いている。

 甲子園では高嶋さんと2度対戦した。明徳義塾が初優勝した02年(平14)の決勝戦が最初の試合だった。森岡良介主将(元中日、ヤクルト、現楽天コーチ)を中心に強いチームに育ったという手応えがあったから、あとはそれを信じて戦うだけと思っていた。高嶋さんが4回1死二、三塁から仕掛けた3バントスクイズにもバッテリーがしっかり反応して、外した。「ここまで来たら、あとは選手に任せるだけだった」と話したことを聞いた高嶋さんは「馬淵監督もようやく気づいたみたいやな」と自分のことのように喜んでいただいた。

 2回目は14年(平26)の選抜1回戦。1―1のまま延長に突入。智弁和歌山は12回にソロ本塁打が飛び出したが、その裏に1番の尾崎湧斗が1死一、三塁でカウント2―1からの同点スクイズに成功した。高嶋さんの顔を見たら、同点は仕方ないというように見えたので、取れる点は取ろうとサインを出した。引き分け再試合目前の15回1死満塁からの暴投でサヨナラ勝ち。じゃんけんに勝って後攻を取ったことが実った試合だ。

 02年の決勝戦の後に、選抜チームで一緒に米国遠征をしてから、本当に親しくなったな。よく飲んだし、よく食べた。ロスでは朝の散歩にもお供した。高嶋さんは行き交う人に「グッドモーニング」と言い続けて歩いていた。「敵じゃないということを示すためや」と笑ったのも高嶋さんらしかった。

 08年(平20)に謹慎処分を受けたときには四国八十八カ所を高嶋さんはお遍路さんとして徒歩で巡っていた。相当な苦行だ。それを知って高知で接待させていただいた思い出がある。高嶋さんの行程にあたる地域の監督にも、みんな連絡して出迎えてもらったな。昨年12月の「古希を祝う会」にも来ていただいた。甲子園で解説される高嶋さんをうならせる試合を、これからもしてみたいね。

 ◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。

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