【馬淵史郎 我が道20】夏の甲子園初優勝 星稜・山下監督、松井秀喜から祝意

[ 2026年3月21日 07:00 ]

宿舎で選手とともに初の全国制覇を喜ぶ
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 02年(平14)の夏の甲子園、3回戦で常総学院(茨城)に2本塁打で逆転勝ちしてから、もうミーティングはする必要がないと決めた。厳しい練習を経て、チームは強くなったという手応えはあった。「あとはお前らでやってみい」と森岡良介主将(元中日、ヤクルト、現楽天コーチ)らに試合を任せた。ずっと立ち続けていた甲子園のベンチでも、守備の間は座ることが多くなった。

 明徳義塾にとって鬼門だったベスト8、ベスト4の壁も突破した。準々決勝では西村健太朗(元巨人、現巨人コーチ)がいた広陵(広島)に7―2で勝つと、準決勝では鎌倉健(元日本ハム)がエースだった川之江(愛媛)に10―1。練習試合で5点ビハインドの9回に6点を取ってサヨナラ勝ちしていた。選手たちも「普通にやれば勝てる」と自信を持っていたね。

 監督として初めて甲子園の決勝に進んだ。8月21日の決戦の相手は智弁和歌山。高嶋仁監督とは何度も練習試合をしてきたが、甲子園で対戦するのは初めてだった。先発の田林正行くんも、準決勝で攻略した鎌倉と同じ右のサイドハンド。球筋もイメージできていた。

 決勝前夜はいろいろ取材もあって、夜が遅くなった。選手には「ゆっくり寝とけ」と起床も遅らせた。でも自分は眠れなくてな。宿舎を出て、24時間営業の喫茶店で時間をつぶしたりしていた。朝も早めに集合場所の公園に行ったら、もう選手は集まっていた。ジョギングをしていた森岡が言った。「監督、今日は男にします」。感動するよな。大人が演出したんじゃなく、子供たちが自然にやってくれる。どんな結果になろうと、もう悔いはなかった。

 1点リードした4回の守備が分岐点になった。1死二、三塁。相手5番にカウント1―2となったところで高嶋監督が3バントスクイズを仕掛けた。全く頭にはなかった。それでも田辺佑介―筧裕次郎(元オリックス)のバッテリーは冷静やった。しっかり外して、三振ゲッツー。「バッテリーの呼吸で外すんや」と言ってきたことをやってくれた。その裏に田辺、山口秀人の本塁打も飛び出し、7―2で初優勝を果たした。
 監督としては一生、優勝できないんじゃないかと思ったこともあった。選手たちが男にしてくれた。男として生まれてきて良かった。明日死んでもいい。そう思ったら、涙が止まらなかった。宿舎では優勝旗に頬ずりして、一晩だけ抱いて寝た。

 あの時、92年(平4)の星稜戦での「松井5敬遠」から10年。「帰れ」コールを浴びた甲子園で拍手を受けることができた。長かった。優勝の翌朝8時半に星稜の山下智茂監督から「おめでとう。先にやられたな」と電話を頂いた。松井秀喜からも関係者を通じて「おめでとうございます」のメッセージが届いていた。10年目の悲願達成だった。

 ◇馬淵 史郎(まぶち・しろう)1955年(昭30)11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身の70歳。三瓶高―拓大。83年に社会人の阿部企業で監督に就任、86年に都市対抗初出場、日本選手権で準優勝。90年から明徳義塾の監督に就任、02年夏の甲子園で優勝。監督として甲子園通算39回出場(春17回、夏22回)は歴代1位。甲子園55勝は歴代4位。23年には日本代表監督としてU―18W杯優勝を果たした。

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