阪神ドラ5・能登嵩都(下)オイシックスでじっくり“土台”築き、いざ甲子園回帰へ

[ 2025年12月30日 05:15 ]

オイシックスで才能が開花した能登
Photo By スポニチ

 【アニバーサリーの鼓動】今も脳裏に深く刻まれた一戦がある。3年時の19年夏の甲子園1回戦。9回1失点と好投も、敗れた。その年のドラフトでヤクルトから1位指名を受ける星稜(石川)の奥川の前に、打線がわずか3安打と沈黙。「あれがドラフト1位で、1軍で活躍できるピッチャーなんだな…」。彼我の実力の差を実感した1時間34分だった。

 その経験があったからかもしれない。「プロを目指すためにはレベルの高いところで活躍しないといけない」――そう覚悟を決め、大学は地元・北海道を離れて桐蔭横浜大へ。だが、4年間で登板3試合にとどまった。

 思わぬアクシデントに見舞われたのは、3年時だった。緊張性頭痛を患い、約2カ月、野球から離れることを余儀なくされた。歩く時の振動さえも響いて激しく痛み、練習のためグラウンドに行っても全く動けず。ストレスやプレッシャーが原因との診断を受け、いったん実家に戻って静養となった。幸い、再びプレーできるまでに回復したが、大事なプレー時間は失った。

 少し遠回りをした。ただ、そのおかげで、じっくり体をつくることもできた。もともと食欲旺盛で、大学時代には白米3合をたいらげても、「まだ足りない」と2合を追加して計5合をペロリと完食したほど食が太い。その上でウエートトレーニングやランニングに励んだ結果、体重は現在の88キロにまで増量。球速も約5キロ上がり、最速は148キロまで伸びた。今も一見はすらっとしたモデル体形だが、それは鍛え上げた筋肉をまとっているからに他ならない。

 ただ、大学時代の実績に乏しかったため、プロ、社会人には進めず。門戸を開いてくれたオイシックスで、才能も花開いた。1年目は制球難に苦しみ、試行錯誤が続いた。それでも地道に、試合後やミーティング後に気づいたことや反省を、地道に高校時代に始めた“野球ノート”に書き留め、修正に努めた。さらに1年目オフに武田監督から「エースは能登だ!」と意識付けられたことで、嵩都の覚悟は決まった。

 そして行動でも示した。そのオフには1日200球を投げ込むなど、とにかく投げまくって土台を築いた。満を持して迎えた今季のイースタン・リーグで開幕投手を担い、エースとしてフル回転。12勝(4敗)を挙げ、防御率2・60と抜群の安定感で最多勝、最優秀防御率、勝率第1位の3冠に加え優秀選手、優秀投手も獲得。イースタン5冠の実績と自信を手に、タテジマのユニホームに袖を通して甲子園回帰を期す。

 「6年前にああいう舞台でやらせてもらって、またそこに戻るチャンスがあるのはうれしい。夢が現実味を帯びてきたのかな」
 あの夏に描いた夢の続きが、再び始まる。 (山手 あかり)

◇能登 嵩都(のと・しゅうと)2001年(平13)9月29日生まれ、北海道出身の24歳。小4時から野球を始め、旭川大高(現・旭川志峯)では3年夏に甲子園出場。桐蔭横浜大を経て24年にオイシックス入団。今季イースタン・リーグで防御率、勝利、勝率の投手部門3冠を獲得し、奪三振(表彰対象外)も1位。1メートル84、88キロ。右投げ右打ち。

続きを表示
続きを表示 広告なしで読む

「ヤクルト」特集記事

「大谷翔平」特集記事

野球の2025年12月30日のニュース