ロッテ・ドラ1石垣の“未来予想図”でロッテ愛 プロ1年目から90歳まで「人生の最後まで野球に」

[ 2025年12月30日 05:30 ]

故郷の北海道登別で未来を想像する石垣(撮影・柳内 遼平)
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 ロッテにドラフト1位で入団した最速158キロ右腕・石垣元気投手(18=健大高崎)が故郷の北海道登別市内のホテルゆもと登別で本紙の取材に応じ、ドジャース・大谷が次々とクリアしたことで知られる「人生設計シート」を作成した。新人王、サイ・ヤング賞、結婚、ロッテスカウト就任など夢を明かした。 (取材・構成=柳内 遼平)

 北海道登別市に故郷がある。体を刺すような冷気が息を白くする温泉街。石垣はホテルの一室にジャージー姿で現れ、明るい未来をイメージした。
 1年目の1軍デビュー、3年目の新人王獲得は4年目に「人生設計シートの本家」である大谷に会うための布石だ。小3だった16年に日本ハム時代の大谷が当時プロ野球最速の165キロを計測。テレビ画面を通じて電撃が走るような衝撃を受けた。その一球が羅針盤になり、最速158キロの世代最速投手に成長した。

 だからこそ次々回のWBC開催が予想される29年に「大谷さんと世界一になる」と設定。「投球のこと、精神面のことを聞きたい。決勝は自分が投げて、最終回は大谷さんにつなぎたい」と勝利の方程式を描き、今夏のU18W杯決勝で敗れた米国へのリベンジマッチ実現を望んだ。

 22歳で結婚。晩婚化が進む現代社会の流れに逆らうように「できるだけ早く結婚したい」と笑った。本拠地ZOZOマリンのある幕張にマンションを構えて野球に全集中。2年後に誕生する長男は成長した後に自身の宿敵だった横浜(神奈川)を投手として甲子園優勝へ導き、プロ入りするという。

 日本一などロッテに黄金時代をもたらした後にメジャー挑戦。31歳で「人生の中で会いたい人」に挙げた野茂英雄氏から助言を授かり、翌年に初のサイ・ヤング賞に輝く。

 引退後は「教えるのがうまいタイプではないので」とコーチや監督ではなく、ロッテのスカウトとして第一線に立つつもりだ。3年目に「ドラ1選手」を担当し、4年目はスカウト部長にスピード出世。超異色の「サイ・ヤング賞スカウト」として球界に多大な影響力を持ち、松坂大輔氏(スポニチ本紙評論家)の「リベンジ」や大谷の「50―50」などが受賞した流行語大賞に45歳にして選ばれる。

 さらにGM就任など「人生の最後まで野球に関わりたい」と90歳までロッテを支え続ける。ルーキーイヤーから「終活」までの未来予想図に迷いはない。名のごとく、元気すぎるプロ野球人生の序章がいま始まる。

 ◇石垣 元気(いしがき・げんき)2007年(平19)8月16日生まれ、北海道登別市出身の18歳。幌別西小1年から柏木ジュニアーズで野球を始め、登別西陵中では洞爺湖リトルシニアに所属。健大高崎(群馬)では2年春から4大会連続で甲子園大会に出場し、2年春は全国制覇に貢献した。今秋ドラフト1位でロッテ入りし、背番号18。1メートル80、78キロ。右投げ両打ち。

 ≪“先達”大谷は着実に達成≫ドジャースの大谷は花巻東(岩手)時代に作成した「人生設計シート」で掲げた目標を着実にクリアしている。26歳に設定していたワールドシリーズ制覇と結婚は30歳シーズンだった24年に実現。27歳としていたWBC日本代表でのMVPは29歳シーズンだった23年大会で達成した。現在31歳。今後の「シート」では34歳で「ワールドシリーズ3度目の制覇」、38歳で「引退を考えはじめる」、40歳で「引退試合ノーヒットノーラン」などと記されている。

 【取材後記】石垣らしい「未来予想図」ができた。早期のメジャー志望を希望する選手が増える中、メジャー挑戦は30歳ごろ。ドラフト前にMLB球団から好条件のオファーを受けた時は「直接米国に行く自分を許せなかった」と成長の必要性を漏らしていた。夢を授かったNPBへの恩返しとして新人王、最多奪三振、ロッテ日本一と、球界を沸かせてからメジャーに挑戦する道のりには一貫性があった。

 18、19歳の予想は意外にも控えめ。ただ、常時150キロの直球&カットボールは既に一級品で、救援投手なら新人王は早まる可能性もある。「来年8月の日本ハム戦で初勝利」。来季日程を調べると、8月1日に日本ハム―ロッテ戦がある。夏の甲子園開幕の超多忙な時期だが、石垣が1軍にいれば「有言実行」を見に行こうと思う。 (アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

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