【平野謙 我が道11】2番センターに定着 新記録のシーズン最多犠打

[ 2025年10月11日 07:00 ]

82年9月28日巨人戦、9回に江川を攻略して4点差を追いつき、10回に代わった角(背番号11)から大島さんがサヨナラ打
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 2番センターに定着した1982年(昭57)は1番の田尾安志さんが開幕から絶好調。どんどん出塁するから必然的に送りバントが多くなった。

 スイッチヒッターになったばかりの打てない僕にとって、バントは試合に出るための手段。キャンプでは連日、みんなが帰ってから練習した。

 まず左右の打席で打ってからバント。不慣れな左打席ではボールの見方もよく分からない。下手くそで、うまく決める自信が持てない。右投手の時にサインが出て「右でやっていいですか?」と近藤貞雄監督に聞いたこともある。

 でも、せっかくスイッチやっているんだから、左できっちり送れなきゃ意味がない。バント練習は左に集中し、そのうち右打席よりうまくできるようになった。

 田尾さんはスタートがいいから、ボールを転がしさえすればなんとかなる。1死二塁の形をつくってケン・モッカ、谷沢健一さん、大島康徳さんのクリーンアップにつなぐ。それが僕の仕事だった。

 そして守り。打撃より守備に興味がある僕にとってセンターはやりやすかった。レフトが大島さんで、ライトは田尾さん。2人とも守備にはこだわりがない。左中間、右中間の打球は「ケンが捕るだろう」と思って遠慮してくれたから、思い切り追っかけて行けた。

 先輩の2人に守備位置を指示することはできない。それでも必要と思えば「こっち来ますよ」「あっち来ますよ」と声をかけさせてもらった。

 チームは8月末に一度首位に立ちながら巨人に抜き返され、いったん4・5ゲーム差をつけられる。ところが、巨人がもたついているうちに風向きが変わってきた。

 9月26日の阪神戦(ナゴヤ球場)は1―4で迎えた8回に宇野勝の2ランで1点差とし、9回には谷沢さん、大島さんの連続タイムリーで逆転サヨナラ勝ち。巨人に2・5差に迫った。

 この試合で僕は5回と9回に送りバントを決めて42犠打。近藤昭仁さん(大洋=現DeNA)が65年にマークした41犠打のシーズン最多犠打のプロ野球記録を抜いた。さらに9を加えて51。88年に阪神の和田豊に56で抜かれるまで1番だった。

 劇的な勝利は続く。28日、巨人との直接対決3連戦(同)の初戦だった。2―6の9回に江川卓を攻略。明大時代から「江川キラー」と呼ばれた僕の代打、豊田誠佑の左前打から怒濤(どとう)の連打で追いつき、延長10回、大島さんが角三男(後に盈男)から中前に2試合連続のサヨナラヒットを放った。

 まだ1・5ゲーム差の2位ながら、残り試合数の関係で中日にマジック12が点灯した。レギュラー1年目に転がり込んできた優勝のチャンス。毎日必死だった。

 ◇平野 謙(ひらの・けん)1955年(昭30)6月20日生まれ、名古屋市出身の70歳。名古屋商大から77年ドラフト外で中日入団。88年に西武、94年にロッテ移籍。右投げ両打ち。俊足強肩の外野手として活躍する。ゴールデングラブ賞9回。盗塁王1回。歴代2位の通算451犠打。引退後はロッテ、日本ハム、中日、社会人、独立リーグなどで指導を続ける。現在はクラブチーム、山岸ロジスターズ監督。

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