巨人・マー君が200勝 プロ19年目36歳が日米通算で大偉業 やっぱり神の子!今季最後の挑戦で

[ 2025年10月1日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人4-2中日 ( 2025年9月30日    東京D )

<巨・中>日米通算200勝を達成し、ボードを掲げる田中将(撮影・光山 貴大)
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 巨人田中将大投手(36)が30日の中日戦で史上4人目の日米通算200勝を達成した。王手をかけてから4度目、今季最後の挑戦で6回4安打2失点の力投。移籍後本拠地初勝利となる3勝目を挙げて待望の大台に到達し、日本のみの達成者24人を合わせて28人目の金字塔を打ち立てた。昨オフに楽天を退団し、新天地で迎えたプロ19年目。初勝利から全て先発で勝利を重ね、信念が結実した。

 両手を突き上げた。あふれる思いが笑みとなって広がる。仲間からのウオーターシャワーが主役をより輝かせた。田中将がついに金字塔を打ち立てた。

 「いやもう本当にうれしいです。時間かかってしまったけど、こうして迎えることができてうれしいです」

 初回先頭の岡林への初球から146キロを計測。3回に細川の2ランで2点を失っても眼光の鋭さは増した。6回を3者凡退に封じると、ようやく表情が崩れた。初めて立った東京ドームでのお立ち台で「将大、将大!」の大合唱をかみ締めた。

 野球エリートとは自覚していない。小学時代は投手・坂本勇人の捕手。中学時代は前田健太がプレーする全国大会でボールボーイを務めていた。「(高校の)1年秋で141キロ、2年春で145キロ。2年夏に150キロ」。そらんじることができる。小2で二盗を刺したのもひそかな自慢だ。高2で全国制覇した駒大苫小牧でもスピードガンと勝負してきた右腕が、プロで「投手とは」を知った。制球を磨き、得点の嗅覚を研ぎ澄まし、投球術として落とし込んだ。

 いつだってメッタ打ちされた悔しさからはい上がった。プロ初登板は1年目の07年3月29日ソフトバンク戦。「怖いもの知らずで臨んだ」が1回2/3を6安打6失点KO。「とにかく打たれた。全て打たれた感じ」とはね返され、全てを見直した。迎えた4登板目の4月18日は再びソフトバンク戦。140球の熱投で9安打2失点、プロ初完投で初勝利をつかみ「(心に残っている勝ち星は)ベタですけど初勝利です」と生涯忘れることはない。

 13年は24勝無敗で楽天を球団初のリーグ制覇、日本一に導いた。オフに7年総額1億5500万ドル(当時約161億円)と当時の日本人最高額で名門ヤンキースへ移籍。4年目の17年に大きな転機が訪れた。3年連続開幕投手を任されたが、レイズ相手に2回2/3で7失点。その後も痛打され続け、6月半ばまで防御率6点台だった。「今まで考えてこなかった部分を」と精神面を見直すきっかけに。メンタルコーチのもとへ向かった。8月にはデビューから4年連続の2桁勝利を達成。自分との向き合い方を磨き再びはい上がった。

 21年に楽天復帰後は負けが先行した。でも心は折れない。「いい試練と思って乗り越えるしかない。これまでのようなペースで勝ち進んだ200より、苦しんで苦しんで届いた200の方が味わいは深い。これはもう、言い聞かせています」と自らにむち打った。

 巨人へ移籍した今季も4月3日の中日戦の移籍初登板で198勝目を挙げたが、5月1日の広島戦を最後に3カ月も2軍生活が続いた。春季キャンプから縦振りのフォームに取り組んできた久保巡回投手コーチから「このままじゃダメだよ。本当に変わらなきゃ」と説かれた。田中将は記録達成の分岐点を「久保さんと出会ったこと」と挙げるほど、教えは大きかった。阿部監督は「もちろん投げてもらう」とCSでの好投にも期待を寄せた。「通過点」と繰り返してきた200勝。達成してなお「自分としては一つでも多く勝ちたい」と言った。見えている世界はもっと先にある。(村井 樹)

 ◇田中 将大(たなか・まさひろ)1988年(昭63)11月1日生まれ、兵庫県出身の36歳。駒大苫小牧では2年夏の甲子園優勝、3年夏は準V。06年高校生ドラフト1巡目で楽天入団。13年はプロ野球新の開幕24連勝を記録し、球団初の日本一。同年オフにポスティングシステムでヤンキース移籍。21年に楽天復帰。主なタイトルは沢村賞、最高勝率、最優秀防御率、最多勝(11、13年)、最多奪三振(12年)。08年北京五輪、21年東京五輪、09、13年WBC日本代表。1メートル88、97キロ。右投げ右打ち。

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