イチロー氏スピーチ全文「努力に限界はありません」 仲間、球団、妻に…20回繰り返した「ありがとう」

[ 2025年7月29日 01:30 ]

イチロー氏米殿堂入り表彰式典 ( 2025年7月27日    米ニューヨーク・クーパーズタウン )

スピーチをするイチロー氏(AP)
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 もう二度と味わうことはないと思っていた感情を、今感じています。これで3度目の「ルーキー」になりました。

 最初は1992年、オリックス・ブルーウェーブに高校からドラフトされた時。そして2001年、27歳でシアトル・マリナーズと契約して再びルーキーに。

 今、ここでジョージ・ブレットさんやトニー・ラルーサさんらを見て、また自分がルーキーであると実感します。この素晴らしいチームに温かく迎えてくださって、本当にありがとうございます。

 私は殿堂の価値を体現できるよう努力したいと思います。ただ、私はもう51歳なので、どうかお手柔らかに。新人仮装でフーターズのコスチュームはもう着なくていいでしょう。

 最初の2回は、感情をコントロールするのが簡単でした。なぜなら常に目標が明確で、「最高レベルのプロでプレーする」ことだったからです。でも今回は違います。子供の頃の私は、アメリカにこんな神聖な野球の地があるとは想像もしていませんでした。

 人々はよく私を記録で評価します。3000本安打、10回のゴールドグラブ賞、10シーズン連続200安打。悪くないよね(笑い)。

 実際は私は野球をやっていなければ「なんてバカなやつだ」と言われていたでしょう。でも私には、(有名キャスターの)ボブ・コスタスのような良き仲間がいました。

 野球はただ単に打って、投げて、走るだけではありません。野球は私に、「何が大切か」という価値判断を教えてくれました。それは人生や世界を見る私の視点をつくってくれたのです。

 子供の頃は、ずっと野球を続けられると思っていました。でも年を重ねるごとに、45歳までプレーを続けるには全てをささげなければならないと気づきました。

 ファンが貴重な時間を使って試合を見に来てくれる時、選手にはその期待に応える責任があります。

 10点差で勝っていても負けていても、開幕戦からシーズン最終戦まで、私は常に同じ姿勢で臨む義務があると思っていました。

 試合後にボックススコアを確認するまで、どんな試合であってもファンに対して全力を尽くすこと、それがプロとしての責任だと感じていました。

 いつスタジアムに来ても、ファンは楽しむ価値があります。野球は「プロフェッショナルであるとは何か」を私に教えてくれました。そして、それこそが私がここに立っている理由だと信じています。私の能力が他の人より優れていたからではありません。3000本安打やシーズン262安打といった記録は、記者たちによって認められた結果です。ただ一人を除いて(笑い)。

 ちなみに、その記者との「ディナー招待」のオファーは、既に期限切れです(笑い)。

 19シーズン、毎日細かなことに注意を払い続けたからこそ、記録を残すことができました。私は自分の道具を毎日自分で手入れしました。グラブのひもが緩んでミスをすることも、スパイクが汚れていてベースで滑ることも避けたかったからです。オフシーズンでさえ、私のルーティンは厳格でした。春のキャンプに現れた時には、既に肩は仕上がっていて、マリナーズの実況アナウンサー、リック・リッツが「レーザービーム!」と叫ぶ準備ができていました。

 努力に限界はありません。私を見てください。身長1メートル80、体重77キロ。アメリカに来た時、多くの人が「メジャーリーグの大きな選手たちと戦うには痩せすぎだ」と言いました。でも、準備を信じていれば、たとえ自分自身の疑念であっても乗り越えられると信じていました。

 「チームのためにできる基本的なことは何か?」と聞かれたら、私は「自分自身に責任を持つこと」と答えます。

 子供の頃、将来の夢はプロ野球選手になることでした。6年生の時にその夢について作文も書きました。今、当時の自分に向けて書き直せるなら、「夢」という言葉ではなく「ゴール(目標)」と書きます。
 夢はいつも現実的とは限りません。でもゴールは、たどり着く方法をよく考えれば実現可能です。

 夢を見ることは誰にでもできます。でも、ゴールを持つことは困難で、挑戦が伴います。ただ「やりたい」と言うだけでは足りません。本気で何かを達成したいなら、それを実現するために何が必要かを、真剣に考えなければなりません。私は、プロの選手として鍛えられるには、日々の練習と準備が大切だと書きました。ゴールを持ち続ける中で、「継続こそが達成の土台になる」ということも理解しました。

 若い選手たちには、ぜひ大きな夢を持ってほしい。でも、「夢」と「ゴール」は違うということを理解してほしいのです。夢をゴールに変えるには、「何がそれを実現するために必要なのか」を正直に考えなければなりません。

 あの作文の中で、私は「地元の中日ドラゴンズでプレーするのが夢だ」と書きました。当時、アメリカの野球のことは何も知りませんでした。ただ野球が好きで、どこであっても最高のレベルでプレーしたいと思っていたのです。その目標の第一歩を達成したのは、オリックスに入団した時でした。最初にフルシーズン戦った年に首位打者を獲得し、それから毎年タイトルを獲りました。外から見れば、全て順調に進んでいるように見えたかもしれません。でも、内面では「なぜ自分が結果を出せているのか」が分からず、葛藤していました。

 そんな苦しみの最中に、歴史的な出来事が起こります。私が生まれて初めて目の当たりにした、日本人メジャーリーガーが誕生しました。野茂英雄さんです。彼の成功は多くの人を触発し、私もその一人でした。

 野茂さんのおかげで、日本では常にMLBの話題が報道されるようになり、試合もテレビで放送されました。野茂さんの勇気のおかげで、私は突然開眼し、自分の想像すらしたことのない場所に挑戦するという考えを持てるようになったのです。

(日本語で)『野茂さん、ありがとうございました』

 オリックスには、MLBに挑戦するチャンスを与えてくれたことに感謝しています。そして、私がアメリカ野球で日本人選手として最も人気のある存在になれると信じてくれたシアトル・マリナーズにも、心から感謝します。

 それ以来ずっと、マリナーズは私のチームです。ありがとう、シアトル。

 私を獲得してくれたGM、パット・ギリックとの再会も果たせました。ありがとう、パット。

 そして、当時のオーナーである山内溥さん、ハワード・リンカーンさん、チャック・アームストロングさん、その他マリナーズの関係者の皆さんにも感謝します。

 現在のマリナーズの経営陣、ジョン・スタントンさん、ジェリー・ディポトさん、ケビン・マルティネスさん、そしてスタッフの皆さん、私を「自分の居場所」であるこの地に戻してくれたこと、そしてシアトルを私の永遠の家にしてくれたことに、感謝します。

 エドガー(・マルティネス)、ケン・グリフィーJr、ランディ(・ジョンソン)といった偉大な先輩たちと同じチームになれたことは本当に光栄です。ありがとう、みんな。

 ニューヨーク・ヤンキースにも感謝しています。今日、C・C・サバシアが来てくれているのも分かっています。ありがとう。私はニューヨークでの2年半をとても楽しみました。デレク・ジーターの素晴らしいリーダーシップ、そしてヤンキースという誇り高い組織文化を体験できたことに感謝します。

 マイアミ・マーリンズにも感謝しています。デービッド・サムソンさん(当時球団社長)、マイク・ヒルさん、今日来てくださってありがとう。正直に言うと、2015年に契約のオファーをもらった時、私はあなたたちのチームのことを知りませんでした(笑い)。

 でも、フロリダでの時間を大好きになりました。40代半ばになっても、若くて才能あるチームメートに囲まれて、私は選手としてさらに成長することができました。

 私がMLB通算3000本安打を達成した時、コロラドでベンチから飛び出して祝ってくれたあの瞬間は、一生忘れません。

 あの瞬間を共に祝ってくれたチームメートの喜びは、心からの、本物のものでした。マーリンズでその仲間たちとともに、3000本安打という大きな目標を達成できたことに、心から感謝しています。

 私にとって、エージェントは単なるビジネスパートナーではありませんでした。残念ながら、トニー・アタナシオさんはこの瞬間を迎える前に亡くなってしまいました。彼がアメリカへ導いてくれたこと、ワインの魅力を教えてくれたこと、全てに感謝します。

 ジョン・ボッグスさんにも、42歳でもまだプレーできると信じてくれたこと、そして今も私のキャリアに情熱を持ち続けてくれていることに感謝します。

 長年にわたり私の通訳をしてくれたアラン・ターナーさんとそのご家族にも、どこにいても私を支えてくれたことに感謝します。

 そして殿堂スタッフの皆さん、ありがとうございます。もちろん、ジェフ・アイドルソンさん(元米野球殿堂博物館長)、あなたがいなければ、私はこの素晴らしい施設の価値を理解することができなかったでしょう。そして殿堂入りされた皆さん、おめでとうございます。


 日本人初のメジャーの野手になろうと決意した時、多くの疑念が向けられたことは想像できると思います。でも、それは単なる疑念ではなく、批判や否定でもありました。「日本の恥になるな」とさえ言われました。

 でも、最も私を支えてくれたのは、妻の弓子でした。彼女がそう言っても不思議ではなかったのに、彼女は一度もそんな態度を見せませんでした。全てのエネルギーを、私の支えと励ましに注いでくれました。シアトル、ニューヨーク、マイアミで過ごした19シーズン、彼女は常に我が家を幸せで前向きな空間にしてくれました。私は選手として一貫性を持とうと努力してきましたが、彼女は私の人生で最も一貫した「チームメート」です。

 引退後、弓子と私はデートナイトを過ごしました。現役時代にはできなかったこと、スタンドに座って、アメリカ流にホットドッグを食べながら、マリナーズの試合を楽しみました。

 野球がくれた数々の経験の中で、私をこの瞬間に到達するために最も欠かせなかった人とホットドッグを食べながら試合を楽しめたことは、一番特別なことでした。

 アメリカ野球殿堂に入ることは、私のゴールではありませんでした。2001年に初めてクーパーズタウンを訪れるまで、殿堂の存在すら知りませんでした。でも、今ここにいることは、まるで素晴らしい夢のようです。

本当にありがとうございました。

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