久しぶりの「でんちゅう仕事」で思い出した長嶋さんのあの笑顔

[ 2025年6月10日 05:15 ]

歴代担当記者回想 長嶋さんを追いかけて 6

99年、長嶋氏を取材する鈴木記者
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 本名は「鈴木」だが、もう30年以上も記者仲間から「でんちゅう」と呼ばれる。後輩からは「でんちゅうさん」だ。きっかけは長嶋さんだった。入社1年目の92年秋。ミスターが来季から巨人監督に復帰する――。そんな報道が過熱し、新聞、テレビ各社が都内の長嶋さんの自宅に殺到。連日、朝から晩まで張り込む日々が続いた。

 新人の若手記者だった私の仕事は朝、長嶋さんが出かける時に耳を突っ込んでコメントを聞き、巨人キャップに報告。そして夜、帰宅した長嶋さんを再びつかまえ、何を言ったかをまた連絡をする。連日、電信柱のように自宅の前に立ち続けた。いつしかあだ名が「でんちゅう」となり、張り込みは「でんちゅう仕事」と呼ばれるように。現在は各球団とも自宅取材は「ご遠慮ください」がスタンス。今の記者は想像もできないであろう連日連夜の張り込みは、長嶋監督就任が正式発表されるまで続いた。

 一度、そんな「でんちゅう仕事」で大魚を逃したことがある。東京ドームで試合があった日の朝、都内某所の散歩コースに張り込んで長嶋監督が来るのを待った。マンツーマンでつかまえて話が聞ければ、それだけで大きなニュースで他紙を出し抜ける。ヤマ勘が当たり、果たして長嶋さんが本当にやってきた。

 「ん~、どうしたの?一緒に歩く?」。ミスターにそう声を掛けられて喜ばない記者はいない。しかし歓喜したのもつかの間、運転手の方から「ダメ!」。一緒に散歩すれば取材になってしまう。静かな、大切な時間を確保したかったのだろう。結局、散歩から戻ってきた長嶋さんと少しだけ話をしたが、記事にはならなかった。

 亡くなった2日後、弔問客を取材するために長嶋さんの自宅の前に立った。風景は変わらなかったが、門から玄関までの階段に手すりが設置されていた。リハビリを続けていた長嶋さんのためのバリアフリーだろう。本当に久々の「でんちゅう」。懐かしい思い出ばかりがよみがえった。ただ、長嶋さんからは普通に「鈴木さん」と呼ばれていたことを思い出した。原辰徳さんには赤穂浪士の「殿中でござる」のイントネーションで今でも「でんちゅう」と呼ばれるが。

 あれだけの国民的スターにもかかわらず、長嶋さんは経験の浅い若い記者の取材にも分け隔てなく、優しく接してくれた。受け答えはユーモアと愛があった。「ん~、どうしたの?」。あの笑顔と柔らかい声は、きっと一生忘れないと思う。(97~99、05、06年巨人担当・鈴木 勝巳)

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