医学部6年生147キロ右腕、プロ志望届提出のワケ 整形外科医目指す群馬大・竹内奎人「一言で言えば…」

[ 2023年10月17日 08:07 ]

群馬大準硬式の竹内奎人投手
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 群馬大準硬式野球部で医学部医学科に在籍する147キロ右腕・竹内奎人投手(24)がプロ志望を表明した。医師を目指す医学生ながら、プロを目指して届を提出した現在の心境を聞いた。

 4日に竹内はSNSで「先日ですが、大学準硬式野球連盟にプロ志望届を提出しました。卒後は初期研修に進まず、野球を続けていきます。医師不足が問題となる中、賛否のご意見はあるかもしれませんが、自分が納得いくまで挑戦します。見守って頂けますと幸いです」と決意をしたためた。昨年のドラフトでは、京大の最速152キロ右腕・水口(みなくち)がソフトバンクから育成7位指名を受けた。水口は滋賀・膳所出身。甲子園出場経験はなく、1年間の浪人生活を経て医学部に入学し、人間健康科学科で理学療法学を専攻していた。竹内のように医師を目指す医学生が志望届を提出するのは異例のケースだ。

 竹内は静岡高時代、のちにDeNA入りした左腕・池谷蒼大らとともに主戦級として2017年選抜に出場。1回戦で不来方(岩手)を破り、2回戦で根尾(現中日)や藤原(現ロッテ)を擁した大阪桐蔭と対戦。8-11で敗れたが、当時、最速141キロでプロからも注目された。一方、中学時代から整形外科医を目指し、医学部進学を視野に入れていた。3年夏の静岡大会準決勝で敗退後、勉強に専念して第1志望の群馬大医学部に一般公募推薦入試で現役合格。大学進学後は準硬式野球部でプレーしてきた。

 なぜ、届を出したか。「一言で言えばもっとやれると思ったから。一番はNPB志望です」と決意を言葉に込めた。

 大学3年生だった2020年、勤続疲労で痛めた右肘の手術を受けた。手術翌日はくしくもドラフト。同級生の池谷がDeNAから指名を受けた瞬間を病院のベッドで見届けた。「自分のことのようにすごく嬉しかったんです。池谷もプロになったことだし、このままではつまらないなと思って。せっかく手術受けたんだし、初心に戻って体を作り直して一から野球をしたら、もっと高いレベルでできるかもしれない。頑張ってみようかなという気持ちになった」と振り返る。

 術後、プレー再開まで1年を擁したが「昔から筋トレとかめちゃくちゃ好きだったので、そこに対するモチベーションはキープすることができていた。投げられない期間は毎日のようにジムに行っていた」と体づくりに専念。今年4月には最速147キロに到達した。

 高校時代の後悔も力になっている。池谷よりも早く2年春に公式戦デビューし、新チームでは一時背番号1を背負っていた。しかし「池谷が台頭してきて、もうあっという間に1番も奪われ、 ほぼ池谷1人の力で勝ち抜いたような状態で」東海大会を制覇。勢いのまま選抜まで駆け抜けた。「自分が1番をつけていたら果たして選抜に出られていたのかと…何かで池谷に勝たなきゃいけない。別の部分で勝負しないといけないと、すごい囚われちゃったんです。結果、出どころが見えづらいとか自分の力を信じずにフォームも崩してしまった。それがあって今もう1回チャレンジしたいっていう思いもあるかもしれない」と語る。

 大学では公式戦のある期間は週3の練習に加え、土日に試合。勉強や実習の傍ら、ジムでトレーニングを積んだ。「医学部に現役で来たこと自体は正解だったと思う。さらに群馬大学だったというのもプラスでした。うちの野球部は結構強くて医学部だけの大会じゃなく、全学のリーグに入っていて、全学でも全日本出るぐらい。ちょうど同期も結構野球を真剣にやっていた人間がたまたま何人かいて。勝とうとする野球をやろうっていう環境があったっていうのが良かった」といい、「医学部は人体のことについて勉強する学部。トレーニングや栄養の取り方とか勉強しながら競技のレベルアップにつなげていくっていうのは自分の中でしっくりくるやり方でした」。時には論文やデータベースを調べながら、体を作ってきた。

 高校時代に比べ「筋力的にも、体組成とかでも、体脂肪率や除脂肪体重は、はっきり言って今の方が全然いい状態にあると思う。自分の体を知ることをずっとやってきたからだと思います。同じトレーニングをやるにしてもその後のリカバリーや栄養の取り方は知識として学べたことを活かせた結果」と振り返り、「いろいろな情報に触れられる中で、鵜呑みにしないで、しっかり自分で調べて良いものは良い、悪いものは良いと判断できる。ちゃんとした証拠に基づいているかいないか、みたいなのを判断して取り入れられるようにはなったかなと思います」と情報判断力も身についた。

 セールスポイントはゲームメーク力。「先発型だと思っているので、試合を作れる、ゲームメークができる。その日の自分の調子の変化に対して、柔軟に対応できる。この日はこれがダメだ。 この日はこれがいいっていうのを試合の中だったり、ゲーム中、プレー中に修正していけるところが自分のいいところかなと思っています。その能力を活かして試合をどんな形でもまとめて、作り上げることには自信があります」とアピール。

 通常、順当に国家試験を通れば、研修医として病院に勤務し、同世代に比べれば給料も高い。それでも野球をとことんやり抜くことを決めた。「早く医者になった方が安定するとは思うんですが、やはりそっちを選んだら野球を続けなかったことを後悔すると思った」。

 医学生ながらNPBドラフトで指名されれば史上初のケース。医師とプロ野球選手という未知の二刀流を切り拓くチャンスがある。ただ「医師免許は持ってないわけですし、プロに入っているわけでもないので。はっきり言って、まだ何も成し遂げていない状態」と冷静に自分を見つめ、「プロの中でも1軍で投げられるとかも含めて、野球をやってお金をいただくって、すごく幸せなことだと思う。プロから小学生、幼稚園児を全部ひっくるめて見られるのがスポーツドクターで、上のレベルのスポーツだけを見るのがスポーツドクターではないと言われている。いろんな経験を診療に生かせるような医者になれればいいなと思います」と将来を思い描く。

 自分のやりたいことを突き詰めた先には、どんな景色が待っているか。10月26日に一つの答えが出ようとしている。

 ◆竹内 奎人(たけうち・けいと) 1999年(平11)5月29日、静岡県賀茂郡河津町生まれ。河津南小1年から河津ジャガーズで野球を始め、6年時にエースで3番として黒潮旗など3県大会に出場。河津中では伊東リトルシニアでプレー、3年時に侍ジャパンU-15日本代表としてW杯7位。静高では1年秋からベンチ入り、2年秋は中部地区3回戦までエース。大学では今春公式戦6試合に登板し、5勝1敗。1メートル81、83キロ。右投げ右打ち。球種は直球のほかにツーシーム、カットボール、カーブ、スプリット。

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