判定ミス=ネットリンチ 高校野球は審判員の絶滅危機へ 「誰もやらない」現状をどう変える

[ 2023年8月30日 21:58 ]

<慶応・横浜>慶応に敗れ涙する横浜ナイン(撮影・会津 智海)
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 高校野球には「暑さ」以外にもすぐに対応すべき問題がある、と感じた夏だった。それは「審判員問題」である。この夏、2つの判定がネット上で大きな話題を呼んだ。

 1つ目は神奈川大会決勝、横浜―慶応戦で下されたジャッジ。慶応が2点を追う9回無死一塁。二ゴロで「4―6―3」と渡り併殺崩れで一死一塁と思われたが、二塁塁審は「セーフ」の判定を下した。横浜の遊撃手・緒方漣(3年)がベースを空過していたという判断で無死一、二塁に。横浜は伝令を通じ2度も確認を求めたが実らず。慶応が1死二、三塁と走者を進め、3番・渡辺千が左翼席への逆転3ランを放った。

 試合の流れを大きく変えた判定。遊撃手・緒方はベースに触れていたのか、映像では決定的な瞬間は確認できなかった。それでもネット上では当該審判員への大バッシングが起こった。

 2つ目は夏の甲子園大会、仙台育英―神村学園の準決勝。神村学園は3回1死三塁の守備でスクイズされた打球を三塁手の岩下吏玖(2年)がグラブトスで捕手の松尾大悟(3年)へ。スロー映像では捕手のタッチが走者の本塁生還より一瞬早く見えたが判定は「セーフ」。明確な映像が残っていたことでネット上では映像で判定を検証する「リクエスト」の導入を求める声が多く挙がった。

 2つの事象に共通したのは(1)ジャッジが試合の流れを大きく変えたこと、(2)注目の試合だったこと、(3)審判員がバッシングを受けたこと、である。

 偶然にも記者は現場で2つのジャッジを目撃した。チームへの取材、高校野球審判員への取材、そして11年から16年まで務めたNPB審判員を務めた経験から、この問題には「こうすればよし!」というような特効薬は存在しないと感じた。そして「特効薬」がない以上、視点を変えて問題を捉える必要があると考えた。

 (1)チーム、ファン視点、(2)審判員視点、(3)大会運営視点から、この問題を掘り下げる。

(1)チーム、ファン視点
 ジャッジにより不利益を被ったチームは到底、判定を受け入れることができないだろう。「ミスジャッジ」の明らかな映像が残っていれば、なおさら怒りも湧く。記者も取材を担当してきたチームがジャッジに影響を受けて敗戦した時には「2年半、汗を流した結果がこれなのか…」とショックを受け、選手に同情した。

 チーム、ファンは「リクエストでも何でもいいから、とにかく正しい判定をしてくれ!」と考えているに違いない。逆にこれ以外の意見は皆無に等しいのではないか。なぜならばチームやチームのファンは高校野球界全体のことや、予算、人材確保など現実的問題を考える必要がないからだ。

 主役は選手。それは正しい。その大原則を守るためにジャッジは常に正確であることを求めるのは当然だ。

(2)審判員視点
 どのカテゴリにおいても審判員の一番の願いは「ノーミスで試合を終えること」だ。高校卒業後の18歳からアマチュア、独立リーグ、NPB審判員の姿を見てきたが「審判員の威厳が大事!」なんて言っている審判員は見たことがない。そんな姿はネット上にしかない幻影だ。

 記者も審判員時代は毎試合、「間違えたら腹を切る」くらいの覚悟でグラウンドに立った。それでもミスを犯す。そんな時は「試合を台無しにした」と罪悪感に襲われた。1年契約のNPB審判員にとって、試合を「ノーミス」で終えることは選手、ファンのためであり、何より自分のためだった。胸を張って明日を迎えるため、来年の契約を勝ち取るため1つのジャッジに入魂した。

 現在、NPBには映像で判定を検証できる「リクエスト」がある。ストライク、ボール以外のほとんどのミスジャッジは、映像の力を借りて訂正することができる。一方、高校野球は現場の審判員の判断が全てとなっている。高校野球の審判員は他に本業がある中でのボランティア。当然、NPB審判員に比べて技量は落ちる。だが、ファンから求められている水準は「完璧」に近いものだ。甲子園でミスジャッジすれば、一瞬でネット上で叩かれ、それが試合の命運を左右する場面であれば「大炎上」は不可避。本職を持ち、プライベートの時間を削って高校球児のために猛暑の中、グラウンドに立っている審判員たち。このままでは近いうちに「誰もやらない」状況が発生するだろう。

 野球界に貢献できるリターンとネット上で袋だたきにされるリスク。とても釣り合わない。「タイパ」を重要視する若者たちの誰が、審判員になろうと思うのだろうか。審判員のなり手が少なくなるとさらに判定のレベルが低下するだろう。審判員の視点から見ると、現在の状況は高校野球、甲子園大会の持続において非常に危うい状況だ。

(3)大会運営視点
 甲子園大会は地方大会からの一本道となっている。地方大会は甲子園大会の予選ではないし、そこに上下は存在しない。ただハード面から考えると甲子園大会では全試合テレビ中継があるため、大会本部が主導で行う「映像による判定検証」は実現可能だろう。

 だが、そこで「地方大会はいいのか」という議論が必ず起こるだろう。甲子園大会で映像のアシストで判定が覆ることが当たり前になった時、今夏の神奈川大会決勝のような状況が発生すれば「地方大会にはなぜ、映像による判定検証はないのか」といった意見が必ず出る。地方大会でも導入に舵を切れば、決勝があるならば準決勝も。いやいや準々決勝も歯止めが利かなくなるに違いない。

 現状では地方大会で映像判定を行えるだけのハードも予算もない。バーチャル高校野球がネット中継を行っているが、そこに映像判定ができるだけのカメラの台数とクオリティはない。地元テレビが中継している試合もあるが、現状、地方大会での「リプレー映像検証」は夢物語である。また今後、それをかなえるだけの高野連の大幅な収入増や民間企業による予算投入予定もない。

 つまり甲子園での「リプレー映像検証」は実現可能。だが、必ず起こる議論を解決する「すべ」を持たない中で導入するのはあまりに短絡的だ。これが大会運営として考えられる視点だ。

以上が各視点から考えた「審判問題」である。ミスをする審判員、映像による判定検証を導入していない大会本部を「犯人」にすることは簡単だが、それが果たして野球界のため、高校球児のためになるだろうか。

 記者として球児の努力、涙を知っている。元審判員として審判員の苦労、心労を知っている。そして社会人として「ヒト・モノ・カネ・ハコ」の問題も知っている。私の中では答えはまだ出ない。「特効薬」のないこの問題、皆さんはどう考えるか。(アマチュア野球担当・柳内 遼平)

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