土浦日大・小菅監督 小宅に脱帽「相手ながらあっぱれ」慶応の大応援は「気持ちの弱いチームだったら…」

[ 2023年8月21日 15:24 ]

第105回全国高校野球選手権記念大会第13日・準決勝   土浦日大0-2慶応 ( 2023年8月21日    甲子園 )

<慶応・土浦日大>健闘したナインを労う土浦日大・小菅監督(撮影・北條 貴史)
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 初のベスト4に進んだ土浦日大(茨城)は慶応(神奈川)に競り負け、準決勝敗退となった。

 先発した背番号10・伊藤彩斗(3年)が3回途中1失点で降板も後を継いだ背番号1・藤本士生(3年)が粘投。7回1死三塁のピンチをしのぐなど、再三走者を背負いながらも踏ん張った。ただ、打線が相手先発・小宅雅己(2年)を攻略できず零敗。試合後は涙が止まらない選手もいた。

 試合後、小菅勲監督は「非常に熱い中、本当に熱いんですよ…選手たちは本当に頑張った」と教え子たちのここまでの奮闘を称えた。そして「残念ではありますが、次につなげていきたい」と語った。

 自慢の集中打が出なかったことに「小宅が非常にいいピッチングをしていた。相手ながらあっぱれですよ。攻略の糸口が見つからなかった。向こうのピッチャーを褒めるしかないですね」と完敗を認めた。

 しかし、慶応の凄まじい応援を浴びながら最後まで諦めなかった選手たちの頑張りを振り返り「(2失点だったが)5、6(失)点の内容ですよね。もしかしたら、あの応援とこの雰囲気なら、気持ちの弱いチームだったらコールドゲームですよ。それを2点で抑えたのですから、防戦一方でしたけどよく頑張ったと思います」と振り返った。

 大会を振り返り「スターぞろいのチームではないが、結束力に自信を持って臨んだ結果が、ミラクルめいたことを生んだのかもしれません。本当に素晴らしいチームだった」と語った小菅監督。同校初となる決勝の舞台は踏むことはできなかったが、「出し切った」と語った表情は晴れやかだった。

 小菅監督にとって8月21日は「特別な日」だった。名将・木内幸男監督率いる取手二(茨城)の三塁手として1984年8月21日、甲子園で決勝戦を戦った。相手は慶応の背番号15・清原勝児(2年)の父、清原和博氏や桑田真澄氏ら「KKコンビ」率いるPL学園だった。PL学園を下し、全国優勝を勝ち取った日からちょうど39年。同じ8月21日に今度は土浦日大の指揮官として初の決勝進出を目指したが、惜しくもかなわなかった。

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