変化球禁止令に精神面の強化 阪神ドラ4・茨木を成長させた恩師・芝草監督の親心

[ 2022年12月5日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」 ドラ4、帝京長岡・茨木(下)

今夏の新潟大会決勝で日本文理に敗れたが、力投したエース茨木秀(左)の健闘を称える芝草監督

 帝京長岡へ進学して間もなく、茨木は芝草宇宙監督から「変化球禁止」を言い渡された。

 「変化球を投げたら抑えられるかもしれないが、プロに行きたいなら、真っすぐの意識を持たないと変わらないぞ」

 「結果に関係なく、打たれてもいいから、まず真っすぐにこだわりなさい。真っすぐをどこに投げたら抑えられるのかを覚えなさい」

 中学時代からカーブ、スライダー、チェンジアップの3球種を操るセンスが高く評価された一方、プロを目指す上では変化球に頼りすぎる“悪癖”を修正する必要があると指摘された。打たれたくないのが投手の本能。「困ったときは変化球」の意識を変えるまでには、かなりの時間を要した。徹底的な指導もあって入学時に130キロに満たなかった自己最速が2年間で147キロまでに上昇。直球を磨き、次のステップは心の強化だった。

 2年秋は新潟大会で3位。北信越大会は3失点完投及ばず松商学園に1回戦で惜敗した。この頃からプロ球団のスカウトや報道陣の数が急増。注目度の上昇に比例するように慢心が見え隠れした。たとえば、投球練習で納得する球がなければ「俺のボールじゃね~ぞ」と態度に出した。

 3年春の県大会は4回戦で新潟明訓に4―14で6回コールドの大敗。早々に打ち込まれた敗戦を境に指導は一段と厳しさを増した。ブルペンでは1球ごとに後ろから「それじゃダメだ」と叱咤(しった)され、目を潤ませても妥協はない。芝草監督は当時を「自分でも苦しいくらいに当たった。それくらい追い込まないと夏はないと思った」と振り返った。

 6月には1週間で1000球の投げ込み。精神的に鍛えると同時に捕手のミットが地面につくぐらい低めに投げることを徹底した。「投げる体力もまだまだ甘く、監督が提案してくれた。その練習がとても大きかった」。最後の夏へ準備は整った。中越との準決勝では延長12回181球を投げ抜いて1―0完封。中1日で挑んだ日本文理との決勝ではロッテからドラフト3位指名されることになる田中晴也と投げ合い、142球の力投の末に延長11回1―2のサヨナラで敗れた。

 甲子園には届かなくても、芝草監督は「一人前になってくれた。本当に感動した」と胸を熱くし、「いろんなことを教え込んできたつもり。あとは体をでかくするだけで十分なんじゃないかなと思っている」と“1期生”の飛躍に太鼓判を押した。 (阪井 日向)

 ◇茨木 秀俊(いばらぎ・ひでとし)2004年(平16)6月8日生まれ、北海道札幌市出身の18歳。手稲中央小2年時に「手稲ヤングスターズ」で野球を始め、手稲中では「札幌東シニア」に所属して全国大会出場。帝京長岡では1年夏からベンチ入り。3年夏は新潟大会決勝・日本文理戦でロッテ3位の田中晴也と投げ合うも延長11回サヨナラ負け。1メートル82、85キロ。右投げ右打ち。

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