仙台育英・須江監督単独インタビュー 自身の仕事は“思考の交通整理”、独特の指導法に迫る

[ 2022年8月26日 07:01 ]

仙台育英・須江監督独占インタビュー(2)

練習球場の外野フェンスに書かれた「日本一からの招待」の文字の前で腕を組む仙台育英・須江航監督(撮影・篠原 岳夫)
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 今夏に東北勢初の甲子園大会優勝を果たした仙台育英(宮城)の須江航監督(39)が25日、スポニチ本紙の単独インタビューに応じた。春夏通じて13度目で東北勢の悲願を果たした試合後のインタビューではコロナ下で3年間を過ごしてきた全国の高校生を思いやり「青春って凄く密」のメッセージを発信して時の人に。その須江監督の独特の指導法に迫った。(聞き手・柳内 遼平)

 ――さらに強いチームを実現するために。
 「野手に関してはロングヒットが少ない。野球を継続していく上で野手にとって長打力は重要なポイントになります。簡単に言うともう少しハードに打てないといけません」

 ――今夏は宮城大会も含め、本塁打は甲子園決勝の1本のみ。
 「小さい野球をやろうと思ったわけではなくて、選ばれた選手の特徴がそうでした。今回は打球角度より打球速度を求めました。長打の正体というのは打球速度と飛距離です。打球速度があれば野手の間を抜ける、飛距離があれば直接スタンドに入る可能性もあります。競争を勝ち上がった選手たちはハードコンタクト、打球速度に特徴がある選手が多かったです。でも次のステージで、プロ野球やアマチュアのトップレベルで活躍するためにはスケールや、打者としてのスキル、力量を大阪桐蔭さんのように両立しないといけないと思っています。次は巧みさと賢さと、思考力を持ちながら、もう少しダイナミックな野球を目指したいです」

 ――指導法も時代とともに変わっている。
 「野球に限らず世の中で指導者の役割が変わっています。昔の指導で参考になるのは監督やコーチの助言や経験則、技術指導、アドバイスでした。今の時代は場合によっては監督より優秀、指導力がある人間はたくさんいて、その情報を得ることも非常に容易になっています。SNSを開けばプロ野球選手が感覚として思っていたことを言語化してくれていたり、千賀投手(ソフトバンク)や山本投手(オリックス)のような選手の練習法だって調べることが可能になりました」

 ――昔は指導者が言うことは絶対だった。
 「僕が現役の時は情報を集めることが重要でした。図書館とかで連続写真などを見て学びました。指導者は技術指導を含めて絶対的な存在でしたが、今は違うと思います。監督の仕事は“交通整理”をすること。彼らの思考の交通整理をしないといけない。だから千賀投手になりたいと言っている子が、全く違うメカニズムとか、体の使い方をしているケースがあるので“どこを目指してどんな練習をしているのか?”と聞いてあげる。その上で、だったらこの人に教わった方がいいんじゃないか、こういうトレーナーさんに助言をもらった方がいいのでは、のように話し合いますね」

 ――怒りにくい時代にもなっている。
 「僕も叱る時はありますが、選手のモチベーションを上げる存在ではないといけません。時代が求めている監督の役割は変わりました。モチベーションを上げて、あとは思考の交通整理をする」

 ――だからこそ言葉が大切。
 「でも、僕が何かを一方的に語りかけることが言葉の力ではありません。同じことを言っても誰が言うか、いつ言うか、その聞く相手がどんな精神状態か、によって効果も変わります。話を聞いてもらうには相手の心が穏やかではないといけません。優しさは想像力ということを選手には常に話しています。その上で同じことを言っても相手の精神状態など、いろいろなことを考慮して話をするべきです。例えば僕がどこかの会社の平社員だとします。上司に進言しようとしたとき、365日で適切なタイミングを見計らって言えば、それが意見になると思う。そこを間違えると文句に聞こえることもあります。それは対生徒でも同じことです」

 ――仙台育英時代の学生コーチとして甲子園の舞台に立った経験は大きいか?
 「大きいです。双方向のコミュニケーションがその時はうまくできず、厳しさを押しつけるタイプでした。当時の野球部は主将と同等に学生コーチの存在が大きかったです。監督1人が130人、140人を見て、コーチという大人の存在はいませんでした。だから学生コーチが実質、本当のコーチで、選手を締めないといけない役割でした。とにかくその責任感だけでやっていたので、事あるごとにもめました」

 ――どんな状況だったのか?
 「選抜で準優勝。それが平成元年以来の東北勢の決勝進出でした。地元は大きく盛り上がりました。仙台駅は先日以上の人が集まりました。久々の東北地方の準優勝で満足感が出てしまったメンバーと、日の当たらない控え選手の間に溝ができてチームにまとまりがなくなってしまいました。当時の私は想像力が乏しく、相手の立場に立って考えることができませんでした。問題の本質を見抜けることなく感情だけで行動していて、チームをまとめることができず、力になれませんでした。そんな経験から多くのことを学ぶことができました」

 ――過去の多くの経験を生かした指導で東北勢初の甲子園大会優勝。初めて優勝旗が越えた「白河の関」に行ったことは?
 「行ったことはないです。(10月)栃木国体の時に伺えればと思います。そこで新たな目標が明確になると思います」

 ◇須江 航(すえ・わたる)1983年(昭58)4月9日生まれ、さいたま市出身の39歳。仙台育英では2年時から学生コーチを務め、3年時に春夏の甲子園に出場。八戸大(現八戸学院大)でも学生コーチを務めた。06年から仙台育英の系列の秀光中軟式野球部監督を務め、14年に全国大会優勝。18年1月から仙台育英監督に就任し、今夏を含めて5度の甲子園出場に導く。情報科教諭。

 《趣味は“家族”》須江監督は趣味についても語った。甲子園の応援にも駆け付けた長男・明日真君(8)と、長女・恵玲奈ちゃん(5)ら家族と過ごす時間を挙げ「帰りが早ければ子供と会えるので野球をやったり、本を読んであげたり」とパパの一面ものぞかせた。自宅の近所の子供たちとも遊ぶといい「隣のおうちの子はサッカーをやってるけど、逆側の(家の)子は野球をやりたいって。今回の優勝で(野球に)興味を示す子が増えたらいい」と願いを口にした。

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