創価大・田中 同じ94年世代の大谷VS韓国打線に刺激「遊んでいる暇ない」

[ 2016年1月1日 13:57 ]

ブルペンで背中から後光が差す中、投球練習する創価大・田中

 俺も大谷世代!今秋ドラフトの超目玉、創価大の田中正義投手(21)が、大学ラストイヤーを迎えた。最速156キロを誇る右腕は、過去最多だった8球団を上回る競合も予想される逸材だが、同じ94年生まれの日本ハム・大谷の活躍を刺激にさらなる高みを目指す。プロ入り、160キロ、メジャー、そして2020年東京五輪――。壮大な目標を掲げる田中が、圧倒的な成績を残してプロの世界に飛び込む。

 昨年11月に行われた国際大会「プレミア12」の準決勝・日本―韓国戦。田中は東京ドームの一塁側スタンドにいた。くぎ付けとなった視線の先には、マウンドで韓国打線を圧倒する大谷がいた。

 「凄い球で前に飛ぶ気がしなかった。同い年なのに、大谷はあんなレベルまでいっている。僕に遊んでいる暇はない」

 同じ94年の7月生まれ。世代最強腕の球を目にして、闘志に火が付いた。

 高校時代から注目を集めた大谷とは対照的に、田中の本格的な投手歴はわずか3年。それでも、天性の柔らかさを持った肉体を武器に急成長を遂げた。昨年6月には大学日本代表として、NPB選抜との壮行試合で7者連続を含む4回完全8奪三振の快投。プロのスカウトの度肝を抜き、楽天は早々と1位を公言した。昨年はリーグ戦で春から50イニング連続無失点、秋は防御率0・00で創価大の先輩・小川(現ヤクルト)が持っていたリーグ記録を更新した。

 自信はついた。しかし、大谷との差も実感した。だから、自らに重圧をかける意味で、主将に立候補した。「チームの顔になるのが自分ということは分かっている。ならば全責任を背負おうと思った」。本来は人前で雄弁に語るようなタイプではなく、寡黙な性格。統率するという苦手分野を克服し、人として成長したいと考えたからだ。

 ストイックさは人一倍。高校時代に右肩を痛めて外野手に一時転向した苦い記憶があり、スポーツ医学や栄養学を独学で勉強している。「食べることはプレーにも直結する」との考えから、現在は母・鈴香さんに1週間分のおかずを冷凍して送ってもらい、体調管理を徹底している。

 将来の目標も明確だ。「プロに行きたい。160キロも出るに越したことはないし、いつかメジャーにも行ってみたい」。そして4年後、2020年の東京五輪も青写真に描く。「国を背負って投げられるのは数人しかいない。その数人の中に入りたいんです」。その可能性が、田中にはある。遅れてきた「大谷世代」の剛腕は、満を持して大学ラストイヤーに臨む。 (松井 いつき)

 ◆田中 正義(たなか・せいぎ)1994年(平6)7月19日、神奈川県生まれの21歳。小1から野球を始める。創価では1年夏に背番号1をつけたが、故障で同秋から外野手に転向。甲子園出場はなし。創価大では投手に再転向し、2年春にリーグ戦デビュー。昨秋の共栄大戦ではノーヒットノーランを達成するなど、防御率0.00のリーグ記録を樹立。通算20試合15勝1敗。家族は両親と兄、姉、妹。1メートル86、89キロ。右投げ右打ち。

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